住環境、食べ物と生活習慣について
ニューヨークに住んで学んだことのひとつ。
ニューヨークで継続して活躍している人たちって大半はニューヨークの近郊に土地付きの家を別に持っていて、木曜の夜から月曜まではニューヨークを離れることだ。
もしくは、ニューヨークにコンドミニアムとかを所有していなくても、コネチカットとかニュージャージーとか通勤圏内の土地付きの一戸建てに暮らしている人が多い。
私はマンハッタンにアパートを借りていて、べったり5年間ニューヨークにいたけれど、その後婚約してニュージャージーに越してから大幅に住環境が改善して感動したのを覚えている。
ニューヨークにずーっと住む人たちもいることはいるけれど。厳しいと思う。
そしてニューヨークでは数ブロックごとに野菜やフルーツ販売の屋台というかカートみたいなものがあって、比較的新鮮な野菜や果物が買いやすかったし。
セントラルパークもあるし。公園が結構いろんなところにあった。ブライアントパークも、ユニオンスクエアも。
前回のノートを書いていて、私の生まれ育った家が崖から落ちるようにおかしくなっていったのは、田舎の一戸建てからベッドタウンの高層住宅に引っ越してからということに気付いた。ウチは14階建てのビルの8階にあった。
姉と私がちょうど思春期に差し掛かるころに引っ越したこともあっただろうけど、人間が自然から離れて暮らす悪影響もあっただろうと思う。
そして、食べ物も一気に質が落ちた。田舎暮らしていた頃は、祖母が育てた米とか野菜とか果物が腐るほどあって、とれたてのものを食べていた。
味噌も自分たちの田んぼで取れた大豆から手作りしていたし、梅干しもらっきょうも全て手作りだった。
旬のものだらけだったし。筍とか、とうもろこしとか、イチゴとか、スイカとか、柿とか。
何て恵まれていたんだろう。11歳まではそうやって土地のものを食べて、祖母に甘えて野原で駆け回って遊んで暮らしていた。
私の今の知識を持ってすれば、あの時に両親が祖母の家を出て高層住宅に住んで、スーパーの出来合いのお惣菜を毎日パックのまま食べるような生活になるなんて、絶対にやめた方がいいって忠告できる。
悪い方向へ舵取りをしたのだから、家族が短期間で目に見えて不幸になってしまったのは当たり前の結果だろうと思う。
幸せで満ち足りた人生を送るのって、基礎から見直す必要があると思う。
住環境から、食生活から、生活習慣とか運動の有無とか、コミュニティに属しているかとか。安全欲求が満たされているかどうかもその一つだと思う。
いくら落ち着く家に住んで、土地の食べ物を食べて規則正しい生活を送っていても、家に暴力とか暴言を吐くような人が同居してたら、幸せで満ち足りた人生にはならない。
逆に言えば、地に足のついた日常生活が送れていたら、無理に「気分よく」過ごすとか考えなくても、自然と気分良く過ごせるような気がする。
今の自分に当てはめてみると、住環境は良いが、食生活がイマイチ。そして運動も不足している。特に骨折してからは。
思考とか感情とか言葉を操って外的環境を改善するのは2の次なのではないかと思ってしまう。
できる範囲で外的環境で変えられるものを変えてみる方が確実だと思う。
コンビニご飯で済ますところを、バランスの良いご飯を手作りしたり。
家でダラダラゴロゴロするところを、日に当たりながら近所を散歩してみるとか。
なるべく自然のあるところに出かけるとか。
自分への大切な助言として覚えておきたい。
幸せで満ち足りた日々を送るのって、実は日々の小さな選択にかかっているということ。
今日の自分の小さな選択の結果は明日には見えなくても、何年も降り積もって必ず結果となって現れることを。