今振り返すメロディーフラッグ
「バンプは大人になったらまた歌詞が刺さる」とネットで色んな人が言っているのを見てきた。
最近、それを実感しつつある。
大阪で5日間のインターン、その帰りのバスから降車して、バス停から家までは大体徒歩20分。あたりはすっかり真っ暗だ。アパートの周りにはろくに電灯もない。
なんとなく、BUMP OF CHICKENでも聴きながら帰ろうという気分になった。この夜の真っ暗な感じ、どことなく鬱屈としていて閉塞感のあるアルバム「jupiter」が合うかな。
小6から中2くらいまで、パンプにどハマりした時期があった。人生で最初の「推し活」である。飽きもせず毎日聴いていたし、出演するテレビ番組も必ずチェックした。Twitterの存在を知って、アカウントは作らなかったものの、ファン同士のやり取りやファンアートを眺めていた。
今でもよく聴いている。散歩しながらとか。けれど散歩する時ってどうしてもアップテンポな曲ばかり選んで聴いてしまうから、アルバム通して、ミドルテンポな曲まで聴くことはあまりなかった。
家まであと10分くらいというところで、jupiterのM7「メロディーフラッグ」に差し掛かった。懐かし。中1の頃とか、自分の部屋のベッドの上で目を瞑って聴いてたな。
この曲の特に好きなポイントは、2番のサビが終わった後の「全てが形を変えて消えても」のところ。それまで長調で淡々と、しかしアツく進んでいた曲調が、ここだけガラッと変わるのだ。突然暗い沼の中に引き摺り込まれるような、もがき苦しむような短調になる。そしてその後の「その耳を澄ましておくれ 涙目を凝らしておくれ」で、また長調になる。助けの手が差し伸べられたようだ。
辺りに人もいないから、口ずさみながら歩いていた。曲の閉塞感と夜のひたすらな暗闇がマッチして、いい感じ。この日のために中1から聴いてきたのかも、とか考えて。
家に帰って、改めてメロディーフラッグの歌詞を見た。私のための歌詞だなあと思った。(と、これまで何人の人が思ってきたんだろうか。)
「生きてきた分だけ 増えた世界が 作る迷路」本当に迷路まみれだ。けれど、迷いまくるからこその楽しさも、今理解している。
「昨日や明日じゃなくて 今を唄った歌」中1の時、大学3年の今、どの「今」に聴いても、「今」について唄われた気分になる曲だ。
「少しでも そばに来れるかい?必ず見つけてやる」こんなこと言われたら、心強いことこの上ない。
アルバムjupiterが発売されたのが、2002年の2月。その頃の藤原基央は22歳。jupiter期の藤原さんとすっかり同年代になってしまったことに、驚きが隠せない。私が今、「少しでもそばに来れるかい?必ず見つけてやる」なんて言い切ることができるだろうか。
バンプ熱が落ち着いた後、いろんなアーティストにハマってきた。けれど「歌詞を大切にしてるアーティストが好き」とか「民族音楽風の曲が好き」とか、そういう好みの系統は間違いなくパンプ沼期に培われている。
そういう意味でも、やっぱりバンプは私にとってのメロディーフラッグだ。じっくり聴いていると、あの頃のこととかを思い出して、かつ「今」の自分を振り返るきっかけになる。自分の「好き」は、どこからやってきたのか。またバンプの歌詞に助けてもらえるか。必ず見つけることはできるか。
「ここで 今 君の手を 掴むためのメロディーフラッグ 遠い約束の歌 深く刺した旗」
衝動でファンアートを描いてみた。真ん中にいるのは私が手癖でよく描くうさぎ「らびぱち」。
沢山バンプ曲のファンアート描きたいな。バンプも沢山聴きたい。