あの日あの夜、みた夢は。
3月9日の夜にみた夢のこと。いつもと違う夢だった。わたしはふだん、美味しいモノとかっこいい人の夢ばかりみる。『夢=即 今の欲望』といった体の、恥ずかしささえ覚えるほど剥き出しの夢、ばかり。
それが時おり、意味ありげな夢をみる。象徴性の高い、ストーリーのある夢。3月9日の夢は、今もその意味をさぐりたくてたまらない。
一番覚えているのは、身体が水に浮かんでいる感覚。波に揺られる感覚。そしてそして・・・意識がうすれてゆく。海でおぼれているんだな、とわかった。誰かがかたわらで話しかけているのもわかった。言葉はわからないけれど、中身は『きみはもうじきあの世へ行くんだよ』と言っている。自分自身は『人柱になるんだ・・・鉄腕アトムのラストとおんなじ・・・』と思いながら、ただただ残念だった。でも、あきらめていた。
もがもがもがッ と目がさめた。花粉症で鼻がつまってたからかな。枕から頭が落ちてふとんにも埋もれ、息が苦しかった。ハー、ハー、なんだ今の夢は。
翌日3月10日。友人に夢の話をしたところ、『過去世かもしれないですね』と。ひらいた眼でさまざまなものをあきらかにみてきた彼女の言葉は、私にとってずっしりとした意味を持つ。『今までは、自己犠牲の時代だった。そこから生まれ変わるという意志、をしめしているのかも。』
そうかもしれない。
そしてまたその翌日。はた、と思った。『つ、な、み、かも。』3月11日。サン、イチ、イチの日。津波で亡くなられた方のたくさんあった日だった。3月10日は東京大空襲でたくさんの方が亡くなられている。
これに気づいて、集合意識というものが確かに存在するのでは、と今、思うようになっている。東日本大震災の2年後のサンイチイチの日。2歳になった長男は言った。『おかあちゃん、かなしいね』。2年前に何が起こったのか彼に明確に伝えてはいなかった私は、彼がなにからかなしみを感じとったのか、わからなかったけれど・・・
夢でみんなのためにおぼれた私は、今生きている私に、何か言いたかったのかな。何を、言いたかったのかな。私はそれを、探り当てなくちゃいけない。そんな気がしてる。