自分がもはや人間ではないという感覚。
そういう感覚をあじわう時間がある。最近はじめた『和のお手当て』のお稽古でのことだ。
※『和のお手当て』とは頭蓋仙骨療法をベースとして日本人の身体に合うようにアレンジされたお手当て法。NPO和のお手当て会から伝えられている。これ以上はご自分で調べてくだされ。
はじめてのお稽古のとき、私は泥になった。意識が静まり、身体の輪郭がぼやけて言葉を発しようにも言葉にならない。とくに下半身がずっしりと実体感をそなえ、大地に溶け込むような感覚。『上虚下実』をあじわわれたのではないでしょうか。とは、先生。
つぎにおさらい会で。私は、草になった。雨を受け日を浴び、地下にひろげた根でつながり合ってやりとりする草たちの一人。
二人一組となりおたがいにお手当てをほどこし合う。お手当てを受ける側で、私は頭痛を発した。そしてお手当てする側になって、頭痛は去っていった。ペアの相手のお身体を借りて、何かが流れていったようだ。
翌日。娘が通う保育園での卒園式で聴いた林光さんの『つめ草の歌』を聴いて、これだった、と思った。一部引用。『わたしたちは一つのめ わたしたちは千のめ ひとりがみたもの みんなに見える』
林光さんが普遍的な言葉にしてくださった。そしてお手当てで、私が体感する感覚。自分のなかにながれるいのちの感覚。一度あじわったのだから、私はもう忘れない。日々、この感じをたしかめながら生きていく。