般若がいる。
般若がいる。どこにいるかって。それは、わたしの口の中。上唇をめくってぎょっとした。般若の口元そっくりの、今にも牙が生えるのではないか、というほどに盛り上がった歯槽を見て。第三子の一歳児検診にて歯科医師に指摘されたのは、おそらく夜間の食いしばりによる歯槽隆起。親切な医師だった。産後の積もり積もったストレスを見通して教えてくれたのだと思う。
ネットで調べてみると(残念ながら)歯槽隆起というのは一度そうなると治ることがなく…食いしばりから口腔や骨を守ろうとして、歯槽の骨が異常に肥大してしまうのが原因になることがあり…食いしばりはほんの数十秒でも何トンという力が顎にかかるという。自分にそんな力があったとは、恐ろしいことだ。
その力から自身の骨を守ろうとして、口の中は般若になった。食いしばっているときにわたしが耐えていたものはなんだろう。こんなことは問わなくても、最初からよく分かっている。夜、ぐっすり眠りたかった。休みたいのに休めない。早く元気になってきょうだいとも遊びたいのに、なかなか元気になれない。ともすると裡で暴れだしそうになるそういったつらさ、もどかしさを耐えていた。
夜、休めずにどうしようもないときは赤ん坊を夫に預かってもらった。夫はそのとき育休ではなく短時間勤務にしており、夜はやはり私の状態を見越してか、起きていることが多かった。彼に赤ん坊を投げつけるように渡して寝床に戻る。ふだんから赤ん坊は健康で、少し緊張が強いタイプであったとしても、すくすくと育っていた。そして母親の方は、そのようなとき(もちろん)赤ん坊が悪いのではないと分かっていながら、しばらくは寝つけないほどに気が立っていた。
一年経ってようやく食いしばりに気づいたが、その癖は第一子のときからすでにあったのではないかと思う。第一子の産後はもっとトラブルが多く、月一回の頻度で首・肩・背中を痛めていた。痛めるまで気づかないほどに凝りをためこんでいた。
しかし、である。ともかくも、わたしは耐えた。耐えて、耐えて、ぜったいにしたくなかったことは避け、もどかしさとつらさを越えて今、子どもたちはすこやかに育ち、仲良く暮らしている。わたしの口元は醜く、元にはもどらないけれど、よくやったねぇ、なのである。抱きしめる。般若を抱きしめる。何度も何度も泣く。涙が洗い流す。日に当たると鬼が成仏してくれるのである。
今、わたしは自分の裡に鬼がいた(これからも、生じうる)ことを知っている。鬼が成仏することも知っている。なにより凝りを抜いていくすべを身につけている。晴れやかである。