何と長い間、ここを訪れていなかったかと唖然とします。 父を見送って一年半。 色々な想いと共に過ごし、その間の想いを育ちの想い出と共に、半生を振り返り文字に起こしました。 その様な作業の途中、母を見送りました。 残ったものは家族のお墓ときょうだいの絆。 そして、少しばかりの預金残高。 それを数字ではなく何か温かな物に変換しようと思い立ち、第二の人生のための拠点を持ちました。 これからそこで、志を同じくする人々との学びと癒し、「家族とは?」という命題に共に向き合う時間を過ご
本当に久しぶりに、ここに書きたくなりました。 丁度一年前の11月。屋久島への旅があり、仲間と囲んだ焚き火、満天の星空、波の音、みんなのまなざしがありました。そして、それら全部が、私に気づきをくれました。 幼い日々に渇望していたもの。 ついぞ手に入らなかったもの。 そう思っていた私。 それを口にすることができたときに、初めて次の段階に進むことができたと思います。 それは、月並みな言い方になりますが「感謝」と言う言葉が最もふさわしい、漠とした想いでした。 翌12月の中旬ごろ
満天の星空の下、草の上に寝転んで。 地球の湿度を背中に感じながら、宇宙空間に漂う感覚に満たされて。 あの夜蘇った、いつかの幸福感。 生きている者に、生きること、死ぬことが平等に訪れるように、生きているということに関しては、おしなべて生きとし生ける全てが平等である。 例えば人。誰かに認められるために、何かをする必要はなく、ただそこにあるだけで、生きていると言うそれだけで価値をもつ。 枝葉の部分は、瑣末なこと。 オールOK。 私が、私のままで良い。 私は、私のままで良い。
朝の薄明かりと、雨の雫の中。 神々しいまでの姿にもう一度、最後の別れを告げて。 振り向かず歩き出します。 無事に帰らないと。 笑顔とハグで送り出してくれた仲間のところへ。 自宅で帰りを待っていてくれる家族のところへ。 やっぱり、私は人なんだな。 これほどまでに圧倒的な森よりも、やはり、人が恋しい。 それにしても…。 完全防水のゴアテックス。雨は通さないが、汗も逃がさない。 YouTubeを見て研究し、速乾性の素材のものを選んで着ているはずなのに、いつの間にか汗でぐっしょり
会えました。 夕方になってしまい、周辺にはもうガイドさんと私しかいない、その場所。 霧の中の縄文杉は、やはり王者の風格。 白い衣をまとった白髪の聖人のよう。 「やっと来たよ。やっと会えた。」と呟いて 目を離すことも出来ず、佇むばかりの私がいました。 この日は、近くの避難小屋で一泊します。 珍しく空いていて、二階のロフトに一人で泊まることになりました。 階下には大学生の女の子達。 ガイドさんは、テントを張りました。 とにかく汗でぐっしょりになった服を着替えて、ホカロンで
行ってきました。 4泊5日の屋久島の旅。前半は仲間と、ライフストーリーを共有する集い。 後半のフリータイムにマンツーマンでガイドさんをお願いして、一泊二日で縄文杉へ。 6.5ℓのバックパック、マット、寝袋、ウェア、トレッキングシューズ、ソックス、トレッキングステッキも新調し、私としては準備万端。 早朝に出発して、最初の9キロはほぼ平坦なトロッコ道、これだけでもかなりの距離。 しかし、本当の意味で縄文杉への道のりと言えるのは、実は最後の2.5キロでした。 屋久島は植物に
目指すことにしました。 こう見えて、わたしは若い頃大学で縄文時代晩期の集団墓を研究(?)していた時期があるので、お墓の形からも皆が平等であったことが解かるこの時代には、ひとかたならぬ愛着があります。 コロナも一旦は収まってきていることもあり、グループで屋久島にいく事になったその瞬間から、縄文杉への想いがムクムクムクムク…。ならば、いざ、自由時間を利用して縄文杉トレッキングツアーへ! …こんな風に書くと、ここまで順調にきたように見えますが、なんの、なんの。 当初、一緒に縄文
あれはまだ、私が今ような人の話を聴く仕事に就くとは想像もしていなかった頃のこと。 発達障害と知的障害をもつ長男は、当時小学4年生でした。 親はと言えば、こどもに障害がある事は受け入れていたつもりでも、特別支援学級(当時は特殊学級)への転籍にはまだ踏み切れないでいる、そんな頃。 しかし、4年生にもなると、学習の内容も抽象的に、お友達との関係も徐々に難しくなり…。 その中で、最も困ったのが担任の先生でした。 今までの担任とはタイプの違う方で、先生のお立場も慮った上で極力控えめ
ここ数か月の間に、初めてお会いした方。その初回の対話。 数十分話された内容から、実のお母様との複雑な関わりや、お母様が亡くなった際の悲しみや苦しみをそのままに抱え、そのことで現在のご家族との関係でさらに苦しんでおられるように私には見えました。 お話を伺い、問いを重ね、さらに語っていただき…。 涙とともに淡々とお気持ちを吐き切られたところで、これから試みたい具体的な行動について確認し、次の予約を入れて頂いてお別れしました。 そして、2回目の対話。 挨拶の段階から、もう前回
Momo です。 プロフィールで自己紹介させていただいたように、児童・家庭分野のソーシャルワーカーと、行政機関のカウンセラーや法人での心理面のお手伝いをしている社会福祉士・精神保健福祉士・公認心理師です。 しかし、ほんの十数年前までの私は、福祉大学の通信の学生で、子育て奮闘中の母でした。 その前は独身で、また全然別のコピーを書く仕事、さらにその前は歴史系の仕事をしていました。 一見するとバラバラに見えて、実は一貫して自分探し、居場所探しの旅をしていたように、今になれば思
Momoです。 無類の猫好きが、縁あって保護猫ちゃんを引き取って1年。その子が一歳四か月になりました。(写真はイメージです。写真ACよりnimojiさん提供。) 元々多頭飼育崩壊のお家で育児放棄され、猫風邪をひいて衰弱していたところを、保護団体の方が救出してくださった子です。 保護主さんが連れ出しに行ったその日、沢山いる雌猫のどの子が母親か分からない(連れて行こうとしても、誰も寄って来ない)状態だったそう。 トライアルで我が家に来た夜から、娘と交代でリビングで添い寝。