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『落研ファイブっ』第二ピリオド(4)「兄弟」
「政木君も本当に大変だったのね。怪我人が出たことに責任を感じてスノボを辞めたの。もしそうなら」
苦い思い出を吐き出した仏像がふと顔をほころばせるのを見て、千景は一拍入れてから口を開いた。
「いえ、そう言う事では無くて。潮時かなと。背も伸びすぎて競技には不利になりましたし」
仏像はカモミールティーのカップに目を落とした。
「そうだったのね。それで、話を戻すけど私たちと一緒に松尾ちゃんの家に来て。きっと松尾ちゃんも喜ぶはずよ」
「車で戻るなら関越道経由ですよね」
スノボと縁を切ったからには二度とあの道を通る事は無い、二度と群馬の地を踏むことは無いと思っていたのに――。
仏像は長いまつげを伏せながら、千景の提案にうなずいた。
そして松尾の室内楽審査後。
関越道のサービスエリアに足を踏み入れた仏像がスマホに目を落とすと、餌から海水浴のお誘いのメッセージが入っていた。
〔仏〕〈悪い。これから泊りで松尾の実家〉
手短に返信した仏像のスマホが震える。
餌からだ。
〔餌〕『ついに彼ママにごあいさつの日が来たんだね、仏像。大人しめのワンピースかセットアップが無難だよ。手土産は個包装で日持ちがするものを。お化粧は薄めのコンサバ』
餌の高く通りの良い声が、こらえきれない笑いを含んでいる。
〔仏〕「そんな無駄知識はどうでも良いんだよ。何が彼ママだふざけやがって」
餌から海水浴の誘いを受けた仏像が改めて事情を説明すると、餌はいつもと変わらぬ調子で仏像をからかった。
〔仏〕「で、海水浴のメンツは」
〔餌〕『言い出しっぺの服部君に放送部の青柳部長と僕でしょ。後は山下君と井上君に、陸上部と野球部の子が来るんだって。天河君と長門君も。長門君のお父さんとお兄さんが三崎口で僕らを拾ってくれる』
〔仏〕「何で山下と井上。俺いないのに」
〔餌〕『だから仏像を呼ぼうと思ったんだって。本当に来ないの』
〔仏〕「今更引き返せない」
関越道のサービスエリアで二年近くぶりに焼きまんじゅうをかじりながら、仏像は餌に告げた。
〔仏〕「三元とシャモは」
〔餌〕『三元さんは法事ニーズで忙しいから電話番。シャモさんは新香町商店街の夏祭りの手伝い』
気を付けてなと言って通話を終えると、お手洗いの列から解放された松尾が息せき切って駆け付けた。
〔松〕「餌さんに何を言ったんですか。何か変な話になってるような」
〔仏〕「だから俺は嫁じゃねえ」
松尾のスマホをちらりと見た仏像は、真っ青な空に浮かぶソフトクリームのような雲を見上げた。
※※※
群馬県最大級の都市の住宅街に、松尾の実家はあった。
古びた、しかし緑にあふれた広壮な木造二階建てである。
刈ったばかりの夏草が放つ青臭い匂いを、仏像は無意識で思い切り嗅ぐ。
玄関左手には古びた石灯籠にホテイアオイ――。
〔仏〕「変わらねえな」
ぼそりとつぶやいた仏像は、自分のもらした一言に目を見張った。
〔松母〕「ずっとお会いしたかったの。松尾と仲良くしてくれてありがとう」
〔松父〕「政木君のおかげで新しい生活になじめたようで。本当にありがとう」
松尾の父母は千景とは対照的に地味な身なりである。
〔松母〕「古い家だから過ごしにくいかもしれないけれど、四日間自分の家だと思ってくつろいでね。客間には千景が寝るから、政木君は松尾の部屋で一緒に寝て」
父から預かった大量の手土産を松尾の両親に渡すと、仏像は『事件現場』へと足を踏み入れた。
※※※
〔松〕「僕は一人っ子だったから、兄弟で枕を並べて寝るのが憧れなんです」
就寝時、松尾が仏像用の布団の隣に自分の掛布団を持って来た。
〔松〕「ゴーさん、どうしました(ごーにーた、どた?)」
目の前の松尾と、夢で見た小さな松尾の乳臭さの残るころころとした姿が重なり合って、仏像の知覚を混乱させる。
〔仏〕「男兄弟なんてろくなもんじゃねえって聞くぞ。おもちゃにされるわ殴り合いだわ。どうでもいいからちゃんと寝ろ。体が資本だろ」
どうにか意識を現世に戻した仏像が背中を向けると、スマホが音を立てた。
〔仏〕「井上からだ。なるほど青柳が用意した『飴』につられて海水浴に行くわけだ」
〔松〕「飴って」
仏像はあさぎちゃんのグラビアを無言で松尾に見せた。
〔松〕「ああ、即効性のある飴ちゃんですね」
〔仏〕「それで山下までつられるとは情けねえ。青柳のやる事なんだから、裏があるに決まってるだろ」
〔松〕「しかも野球部と陸上部からも引き抜き成功と。服部さんと青柳部長のタッグって恐ろしいまでの実行力」
スマホを見せられた松尾が、これで草サッカー部門は安泰ですねと笑う。
〔仏〕「色んな所に頭ぶつけてる背が高くてガタイの良いバスケ部の奴がいるだろ。あいつが大会で二回戦からレギュラー化して、井上は控え扱いになったんだとさ。このまま転部するかもだって」
長身ぞろいのバスケ部の中でも頭一つ以上背の高い老け顔の彼を思い出して、松尾はさもありなんとうなずいた。
※本作はいかなる実在の団体個人とも一切関係の無いフィクションです。
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