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レポート
BGMが、突然フリーズした。
同じ音程が只々鳴り続けたまま、
私のDS Liteは動かなくなった。
ちょうど最初に来た大きな街から、
東に行った先の釣り堀のような場所だった。
この時以外にも、私の「パール」は釣りをすると
フリーズするバグが起こった。
小学生だった私は、
夏休みになると夏期講習に行かなければならなかった。
まだ7つか8つの女の子に、
じっと座って勉強しなければいけない時間は
あまりに苦痛だった。
それでも、塾を抜け出せば私は笑顔になった。
それは、家に帰ればポケモンたちが待っていたからだ。
一人っ子で、
さらに友達と遊ぶことも少なかった私にとって、
唯一心を許せたのはヒコザルやパチリスたちだった。
しかしメインで一緒に旅をしていた二人のどちらとも、じめんタイプを苦手としていた。
そのため、みずタイプのポケモンが欲しくて
私はひたすらに釣り竿を振っていた。
するともちろんフリーズした。
思い出が消えるのは、いつもとても悲しかった。
親の目を盗んで作った時間も、
手強い相手を倒したことも、
好きな味のおやつを作って食べさせてあげたことも、
私の頭以外には、どこにも残っていなかったからだ。
思い出が消えないように、
いつからか少し動いただけでも
レポートを書くようになった。
親とのルールで導入された
ゲームの制限時間のタイマーが鳴ったまま
なかなかレポートが書き終わらなくて
消えてしまったこともあったけど、
なるべく慎重に、
思い出を残した。
ある日、お母さんにこのバグを相談した。
するとお母さんは、
「それなら任天堂に送ってみればいいじゃない」
と言った。
我が家では、毎年夏休みに先生やお世話になった人に
手紙を書く風習があった。
両親の勧めで、手紙のルールを覚えるためだ。
「暑中お見舞い申し上げます」
並べられた葉書を、夏期講習が休みの日に書いていた。
母から渡されたのは、
任天堂の送り先が印刷された紙切れと横長の封筒、
そして白と水色の便箋だった。
私は、ポケモンがプリントされたピンクの鉛筆で
丁寧に文を書いた。
京都の「都」ですら、おそらく書けていなかった。
それでも、
どうしても彼らとの思い出が消えないように、
便箋に一文字一文字書き残した。
「任天堂 さんへ
はじめまして。
わたしは、ポケモンが大すきな7才の小学生です。
一ばんすきなポケモンはヒコザルとパチリスと
イーブイです。
でも、イーブイはまだつかまえられません。
今、ヒコザルとパチリスとたびをしています。
でも、じめんタイプによわいです。
だからみずタイプのポケモンがほしいです。
でも、みずタイプをつかまえるために、
つりをすると、いつもDSがおなじ音がなって
かたまってしまいます。
たまに、ヒコザルたちとの思い出が
きえて、かなしいです。
ミオシティにいくほうの、コトブキシティのちかくの、
はしの一ばん上の、左にいます。
お手数おかけしますが、よろしくお願いいたします。」
歪な文字の羅列は、非常に読みにくかっただろう。
一年生で、国語は好きだったが、
10画以上の漢字は
どうしてもサイズが大きくなってしまった。
母に教えられながら書いた最後の一文だけが、
破調のようで奇妙だった。
でも、
きっとそれが私の「思い出を消したくない」という
気持ちをより明確に伝えたのかもしれない。
プチプチのシートにカッターを入れて、
私の「パール」を包む袋を作った。
やや厚くなった白い封筒に、切手をつけて、
思い出たちが京都に飛び立った。
ちゃんと帰ってきますように。
またみんなと、旅ができますように。
祈る気持ちばかりで、夏期講習は勿論上の空だった。
少しだけ漢字が書けるようになったが、
それはきっと夏期講習のおかげでは無かった。
1週間後、ポストに漸く一通の縦長の封筒が届いた。
先生のような綺麗な字で、私宛に届いた。
裏面の左下には、
京都から始まるアドレスが記されていた。
子どもは、一目散だ。
まずは丁寧に梱包された袋を剥き出しにして、
カセットをDSに入れた。
お馴染みのオープニングの後、
ちゃんと100時間を超える冒険時間が記録された
スタート画面が現れた。
あの場面だった。
ちゃんと「ツヨイザル」も「パチリス★」も、
みんないた。
私の選んだ技を覚えて、知ってる性格で、
しぶい味と酸っぱい味が好きな私の仲間だった。
そして、
つりをしても、思い出は消えなかった。
コイキングが出てきて、
こんなに嬉しかったのは初めてだった。
すると、お母さんに叱られた。
「手紙を送ってくれたのに、
すぐに、ちゃんと、読まない人が何処にいますか」と。
白い封筒の中から、白い便箋をひらいた。
大きく、丁寧に、平仮名をたくさん使って
最後の行まで、いっぱい書かれたお手紙だった。
「 はじめまして!
わたしは ポケモンを つくっている 〇〇です。
このたびは かなしいおもいを させてしまって
ごめんなさい。
もうこのソフトはなおったので
たくさんつりをして、みずタイプの ポケモンを
たくさん つかまえてくださいね。
ツヨイザルと パチリス★のことを
すきになってくれてありがとう!
これからも ポケモンのことを
すきでいてね!
ポケモンけんきゅうじょ 〇〇」
BGMが、突然フリーズした。
初めてのクレジットカードで買った、
初めての買い物のSwitchが、
シャイニングパールの地下大洞窟で、
初めてフリーズした。
4年間、ぼんやりと欲しいと思っていたものを、
どうしても買いたくなったのは、
あの「思い出」が私に残っていたからだろう。
小学校は6年間毎年夏期講習に行った。
それでも中学受験は失敗した。
中学に入っても、高校に入っても
なんだかんだずっと受験勉強に追われた。
それでも、ポケモンは私のそばにいた。
友達とポケモンセンターに行ったり、
学校帰りにポケモンのぬいぐるみを買って
一緒に寝ていたりした。
高校が嫌になった時は、
ネクタイで微笑んでいるポケモンのピンバッジを見て
なんとか通った。
昨日、
同じ音程が只々鳴り続けたまま、
私のSwitchは動かなくなった。
私はそれまで、恥ずかしながら
思い出をからっきし忘れていた。
「お母さん、覚えてない?
私任天堂にパール送ったよね」
「うーん、
なんとなく京都に手紙出したり、
プチプチで包んだのは覚えてるかな」
話せば話すほど、私の「思い出」が鮮明に蘇った。
「思い出」は消えていたんじゃなくて、
自分の奥にしまってあっただけだった。
よく、
ゲームを子供にやらせるべきではない
という議論がされているのを見る。
たしかに、夏期講習も上の空になる程
熱中してしまうお子さんもいる。
しかし、
人生でいくつ心から愛せるものに出会えるだろうか。
「仲間」は、
けして3次元だけにいるものではないはずだ。
幾度引っ越しをして実物を無くしても、
学校が変わっても、環境が変わっても、
変わらない「思い出」なんて、いくつあるだろうか。
思わぬところにも、
たくさんの経験と出遭うチャンスがある。
ゲームに限らず、
愛することができるものを
愛し続けることは、
何にも変え難い素晴らしいことだと思う。
私は、あの橋を越えた先で聞いた
ミオシティのBGMが大好きだ。
地デジに対応した薄いプラズマテレビに映る
綺麗なヒコザルとパチリスを見ると、
なんだか優しい気持ちになる。
あのポケモン研究員が、
小さな女の子に向き合ってくれた「一通」が
「ふしぎなおくりもの」であり、
「たいせつなもの」だった。
そして
その「思い出」は、
どんなバグやトラブルがあっても、
レポートとしてちゃんと私の中に書き残っていた。
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