ドイツの湖の近くに住んだ1年半のこと
近所に湖がなければ、ここまでドイツのことを好きにならなかったかもしれない。と思うぐらい、私はドイツの湖に魅せられた。
1年半ほど、バルデナイ湖(ルール川の人造湖)の近くに住んでいた。アパートからは歩いて5分ほどで湖に着く。どうしても湖の近くに住みたい!と思い、この地に辿り着いた訳ではなかった。夫の仕事の都合でドイツに一時的に住むことになり、ドイツ人の上司が手配してくれたアパートがたまたま湖の近くだったのだ。
日本人はおそらく私たち夫婦だけのローカルタウンで、市の中心部のターミナル駅までは電車で12分ほど。田舎ではあるが、駅近くに住んでいたので買い物や生活はしやすい場所だった。EDEKA・REWE・ALDI(スーパーマーケット)、dm・ROSSMANN(ドラッグストア)が徒歩圏内にあれば生きていくには困らない。
私たち夫婦は30代で、これまで海外に住んだ経験がなかった。海外旅行といっても、1週間程度を数回したぐらい。そんな人たちが、英語も通じない、アジア人もごく少数の場所に住む…今思うと、自分のことながらヒトゴトのように感じられるし、勇気があったなぁと思ってしまう。そのような状況でも精神的に病んだりせずに帰ってこられたのは、夫のおかげであるのはもちろんのこと、湖のおかげというのもかなりあるのではないか、と思っている。
今日はどんな風景に出会えるだろう、と思うと自然と足が湖に向かった。
青空
力強い青が広がる日には、空と湖を眺めているだけで明るい気持ちが湧いてきた。穏やかな空気感を味わいながら、鏡面反射を見つめて心を静めていく。
ドイツに住んでいた頃の日記を読み返すと、ブログ運営の方針をどうしようか悩む、かといって他にやりたいメディアも見つからない、ドイツ語が難しい…など、モヤモヤした気持ちがかなりあったようだった。初めての海外生活は知らず知らずのうちにストレスが溜まってしまうものかもしれない。それらを浄化するように湖に向かっていた。
淡い空
ヨーロッパらしい空の色といえば、淡くて優しい水彩画のよう。雲と空色のふんわりとした質感と、光のアンサンブルを楽しむ。
湖の近くには新興住宅地があって、こんなところに住んだら毎日がバカンスじゃないか、と思った。白くて四角い建物が並び、ドイツなのに南国リゾートのような雰囲気。湖の近くに住んで、水があるところに住むことに憧れる気持ちが芽生えた。
幻想的な夕焼け
最も心を奪われたのが夕焼け。絶妙な色合いで、毎日違う表情に出会える。なぜここまで鮮やかな朱色になるのだろう。空色と夕陽と水が作り出した自然の芸術に、地球ってこんなに美しいところだったんだなと何度も思った。ドイツにいてよく思ったのは、地球はなんて美しいのだろう、ということ。日本で綺麗な風景を見て美しいな、とはよく思ったけれど、地球規模で美しいという感覚になったことはほとんどなかった。この違いは何だろう。
言葉では表せない色の前に立ち尽くす。現実離れした美しさに圧倒される。たまには、自分なんて地球規模で見ればあまりにちっぽけな存在だと感じる瞬間が必要な気がする。iPhoneの壁紙の世界に入り込んでしまったか、ここは現実なのかわからなくなるほどだ。
紅葉
夏が過ぎ去ると、葉っぱが色づいてくる。暖かい色の葉がドイツの風景に哀愁と華を添える。
この季節はカサカサと音を立てて、落ち葉を踏みながら散歩をするのも楽しい。ドイツには日本では見たことないほど大きな、手のひら大の落ち葉がある。
寒々しい冬
東京より寒い時期が長いし、太陽が出る日が少ないので基本的に薄暗い。ドイツに住んで初めて、冬にも太陽が燦々と降り注ぐ東京の天気のありがたさを知った。湖に行っても風景にあまり変化がなく、写真を撮ることも少なくなった。
写真を見るだけでも寒そう!クリスマスという行事がなければ、ドイツの冬はなんと寂しげなものか。夜にクリスマスマーケットに行って、凍てつくような手であたたかいグリューワインを飲んだのがドイツの冬の思い出。
鳥たち
新緑の季節には「シジュウカラガン大型亜種」(Googleレンズで調べた)の親子をたびたび見かけた。ふわふわのおしりをフリフリしながら、お母さんについていくヒナはとても可愛い。でも、道端にフンが落ちていることが多々あるので見惚れているだけでは危険だ。犬のフンにもよく遭遇する。ドイツに来てから、下を向いて歩く癖がついた。
ヒナたちはあっという間に大きくなる。気持ちよさそうにみんなで昼寝をしている姿に、どれほど癒されただろう。ドイツにいると「何もしない時間の価値」を考えることが多かった。人も鳥も、ただその場の空気感を味わうだけの時間を過ごしている姿を湖畔ではよく見かけた。東京で見かける鳥はいつもどこかに向かっていて、せわしない。
花
意外にも、ドイツでも桜が見られた。桜を見ると日本の始まりの季節を思い出した。外国に住んでいると日本に関連するものを目にするだけで嬉しくなってしまう。ずっと外国語や外国の文化の中にいると新鮮で刺激的ではあるけれど、たまには安心感が欲しくなるからだと思う。
日本でよく見た桜とは違った風情だった。ドイツの桜には切なさや諸行無常さは感じられず、まるまるしていて可愛いなぁ!綺麗だなぁ!というテンションで見る。日本の桜は華やかさの中に寂しさがあって、そこが味なんだ。
バルデナイ湖沿いの線路にはいつの間にか赤い花が咲いた。後述するが、鉄道は1年のうち限られた期間しか走らないので、この花が咲いているうちは潰されることもないだろう。うまいサイクルになっているものだなぁ。
駅前の広場には藤の花が咲き乱れ、いつもはがらんとした場所がすっかり春らしくなった。藤は日本が原産地で、日本の固有種なのだそう。ドイツのメルヘンチックな建物の背景にも自然と馴染んでいると思った。
<参考>
マリンスポーツ、遊覧船
近所にマリンスポーツができる場所がある状況が新鮮すぎて、湖上に動く何かがあれば、散歩をしながらいつの間にか眺めてしまう。ヨット、ボート、カヌー、たまに飛び込んでいる人。そこには穏やかでなめらかな自由がある。カモや白鳥がのんびりと泳いでいる横で、水を切るようにゆっくりとカヌーが進んでいく様子が平和でとても美しい。夏には遊覧船が運行している。
朝食付きのプランもあるみたいでとても楽しそう。でも船酔いしたらどうしよう…と思い、乗れなかったビビりです。私は瀬戸内海のフェリーや高速艇に何十回と乗っていて、この経験から「船は天候のコンディションによって揺れ度合いが大きく変わる」ことを知っている。船酔いのしんどさもわかる。知識や経験がなかったら何も考えずに乗れたかもしれない。ここは海ではなくて湖だったから穏やかにクルーズを楽しめたのかな、と心残りなこと。
蒸気機関車
いつものように湖沿いを散歩していたある日、蒸気機関車が走っている姿を見た。線路があるなとはずっと思っていたけれど、実際に走っている姿は初めてだったので「本当に運行してるんだ!」と驚く。掲示板によると秋に期間限定で運行しているみたい。湖の向こう岸まで行って帰ってくる行程だ。
葉が色づき始めた日曜日に、蒸気機関車に乗ってみた。
往復一人5ユーロでチケットを購入。車両の中はボックス席が中心で、赤ちゃんや子供連れのファミリーでとても賑わっていた。時間ギリギリに乗り込んだので、座席がなく立ったまま過ごす。
蒸気機関車は思ったよりゆっくり進んでいった。このような風景がずっと続いて、サイクリングをしている人と目が合うと手を振り合う。赤の他人との距離感の近さに思わず笑みが溢れる。
20分弱で湖の向こう岸に到着。賑わっている湖畔の方まで進むと、大きなバイクがずらりと並んでいた。ここはライダーたちの溜まり場らしい。ドイツに来てから一番いかつい雰囲気で少し圧倒されてしまう。ライダースジャケットを羽織った屈強そうな男性の輪に混じって女性もいた。老若男女問わず一緒に楽しんでいて、青春の雰囲気があった。
近くには出店があって、ソーセージやパンなどが売っていた。ソーセージに酸っぱめなカレーをつけて食べる「カリーヴルスト」は定番のドイツのソウルフード。大胆に食パンがのってる。カレーというよりケチャップに近い味で、バーモントカレーのような日本のカレーを想像してると「違う…」となってしまうけれど、これはこれで美味しい。
帰りの蒸気機関車乗り場まで、森の中を歩く。
湖の近くにいる人々
湖の周りはたいてい静かだけれど生き生きとした活気に満ちている。
一人で歩いている人、おしゃべりを楽しみながら歩いている二人組、ローラーブレードをしている人、芝生に座ってビールを飲みながら日光浴を楽しむ人、ロードバイクで疾走している人、走っている人。ベンチにただ座っているだけの人、本を読んでいる人。湖上ではヨットやカヌーをしている人もいる。仲睦まじく手を繋いでゆっくりと歩いている老夫婦を見かけた時には、なんだか温かい気持ちになる。
それぞれが、それぞれの湖の楽しみ方をしている。ドイツに来ていいなと思うのは、年齢や性別に関わらず自分がやりたいことをやっている雰囲気があることだ。日本ではローラーブレードをしている大人はあまり見かけないけれど、ドイツでは大人も子供もローラーブレードで遊んでいる。おじいちゃんおばあちゃんが2人でアイスクリームを頬張っているところもよく見た。
日本だとなんとなく「年相応のことをしなければならない」雰囲気がある。でも、自分がやりたいんだったらやればいいんだよな、ということを思いながら日本人の私は湖畔を走ったり歩いたりしていた。ひとり東洋人がいても、誰も特に気にも留めない。
ドイツから日本に本帰国してしばらく経つ今でも、この湖のことをたまに思い出す。自由と平穏と、自然との調和。日本に長いこと居てもなかなか感じられなかったこれらの概念がこの場所には確かにあった。自分と夫だけの秘め事にしておきたい気もした。日本中の人に知らせたい気もした。
慎重なので海外では1人で出かけることがなかなかできなかったけれど、ここはフラッと1人で散歩できる唯一の場所だった。
夫の仕事の都合でこの街に行くことはもうなくなったので、いつかまた訪れる時はわざわざ行く時。有名な観光地というわけではない。でもまたいつか必ず、と思うほど心の支えになっている風景だ。その「いつか」が訪れた時は、この頃の未熟さを思い出しながら沈みゆく夕陽に包まれたい。