
凡人か凡人以下か?
教典 52 「凡人か凡人以下か?」
ある美術の時間です。
あなた以外に、生徒は20人。
ここに、真っ白な紙が1枚あります。
この紙を使って、自由に表現してください!
字を書いてもいいし、絵を描いてもいいし、それ以外の表現でもなんでもいいです。
と言われたら、あなたは、いったいどのような表現をしますか?
これが、先生と1対1の授業なら、その時の心のおもむくままに表現しようとするでしょう。
ところが、ある程度の人数がいる中で、一斉にやれと言われたら、急に心がざわつき始める。
自由に表現する。と言われたのに、とたんに不自由さを感じる。
とたんに、周りと比較しようとする。
とたんに、人と変わったことをしようと気持ちが空回る。
そこで、自分が
凡人だ!
ということをつきつけられる。
なんなら、凡人以下かもしれない。
とたんに、何にも思いつかなくなる。
それどころか、急に怖くなる。
なぜか?
自分が凡人であることを認めたくないのに、凡人である現実を突きつけられるから。
周りの作品がどれも自分より優れていると思うから。
そうなると、完全に主旨を忘れる。
自由に表現する。という目的から、とにかく周りの評価にしか頭が働かない!
いや。評価もなにもまだ、何も作ってないやん!
これ。まさに、今の現代社会そのものである。
このnoteにしたって、ほとんどの人が、
「自分の表現」と好き❤️という「評価」の間でザワザワ・モヤモヤしているのでは?
SNSもそう。
アーティストもそう。
ファッションもそう。
自分の好きなように表現していいんだよ。と言われているのに、凡人は他人と比較する。
そうじゃなくて、
自分が凡人か凡人以下だったとしたら(ちなみに、私は凡人以下です。)
最初は、凡人を極めればいいじゃん!
私はさぁ、このnoteやり始めて、
「あー。私、凡人以下だな」
と思った。
まぁ、その瞬間は自分で勝手に凹んだね。
で
そこから開き直りよ。
凡人には凡人の。凡人以下には凡人以下の世界ってやつを貫いてやろうじゃないの!
凡人で何が悪い?
凡人以下で何が悪い?
評価気にする前に、