読みかけ記録(3) 『司馬遼太郎が考えたこと』 を読んでいる私と、天ノ橋立。
司馬遼太郎のエッセイ集を読んでいる。
今日は、その中の、
「風景」という造型
について書く。
「名勝」の下についてくる「史蹟」。
「名勝~~」、「日本三景」などというものは、景色そのものを評価するというよりは、「史的ロマン」がついてきている、という話。
世に宣伝される名勝というシロモノは、行ってみてコレハと三嘆した経験はほとんど稀である。(司馬遼太郎)
司馬遼太郎は、日本三景の「天ノ橋立」について触れ、正直に、何も特別さを感じなかったように書いている。私は共感した。
私も天ノ橋立へ行ったときに同じように思ったことを思い出した。子どものころの話だが。
「景色そのもの」に感動することと、「その景色とその歴史的背景」に感動することは違う。天ノ橋立の歴史や、日本三景に選ばれた所以を私は知らない。
知らないのに、「日本三景」というきらびやかな言葉が独り歩きしまくっているんやと思ってしまった。そんなもんに認定されてなかったら、素直に美しさを感じられたかもしれないのに・・・と。そのせいにして色眼鏡で見ていたのはこの私だけかもしれないが。と思ったところに、もうひとりいたことが分かったんや。司馬遼太郎。
大人になった今、そんなこともひっくるめて、天ノ橋立にもう一度行ってみたい。万人の“素晴らしい景色”ではなく、私自身の“景色”を感じてみたい。
そんなことを思いながら、私の頭の中はもう天ノ橋立。素敵な風がサワサワと吹いている。
読んでくれてありがとう♡