将来の夢って職業だけじゃなく幅広く考えていたらどうなっていたんだろう
子どもの頃、将来の夢を聞かれると、「バレリーナ」と答えていた。
今思うと、本当に職業として想像していたわけではない。
バレエが大好きで、ずっと大人になっても踊っていたいなって思ってたんだった。そんな気持ちを思い出した。
「バレリーナになりたい」
と文集にもプロフィール帳にもなんにでも書いていた私。恥ずかしくて口には出して言えなかったんだよな。ある意味現実味なかったんかもしれない。バレリーナを職業にして毎日働いている自分を想像したこともあまりなかった。想像してたってことを忘れてるだけかもしれんけど。
「バレリーナになりたい」
と書く心のうちは、
🌼ずっとバレエをしていたい
🌼踊るのがただただ楽しい
🌼上手になりたい
やったんやと思う。
その気持ちを無意識に職業に当てはめてたとこもあるのかもしれないな。
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将来の夢といえば、
「お嫁さんになりたい」
って人がいた。
役割ではあるが職業ではない。
「ぶどう」と答えた子もいた。
その子がそう答えた真相まではわからないけど、それを聞いた大人たちは笑っていた。でもこの回答も、おかしな回答ではないのかもしれない。職業にしばられていない子どもならではなのかも。それほどぶどうが好きだったのかな。ぶどうが好きだからって、ぶどう農家にならなくてもいい。ぶどうの季節になったらわくわくするような大人になっていたら、素敵だなあと思う。
ぶどうと答えたときに笑った大人が、「かわいいなぁ」と笑ってくれていたんだったら、それ自体はとてもあたたかな空間だったんだからいいんだけどね。
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仕事、職業、に関して。
私はつい最近まで、自己紹介するくらいの初めて会う人には必ず何してる人かって気になってた。でもなんか今は違っている。
「その人」を表すものとして、仕事が主になりすぎな気もする。それが悪いわけではないがそういう社会だということ。それが当たり前っていう。時代を遡ってもそうなのか?インディアンやどこかの原住民は感覚が違う?「なりわい」として季節ごとに様々な仕事ををしていたお百姓さんの時代は違う?
知りたい。
ここ数年できた私の友だちは、「そういえばなんの仕事してるか知らない」って人もいる。なんの仕事してるかわからん、って、なんかやばい仕事してそうな表現ね(笑)
もちろんそういうわけじゃない。
そしてその人に興味関心がないから知らないというわけでもない。趣味や休日の過ごし方なんかはよく知っていたりもする。
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そもそも子どもの頃、職業にとらわれずに将来を夢見ていたら、どんなことを想像していただろう?
もう戻っては確かめられないのがせつない。
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バレリーナになりたかった私へ。
私は高校生でバレエをやめてしまったけれど、それでも10年以上、長くバレエを続けさせてもらったよ。
そして大人になってからも、引っ越ししたり生きる場所が変わっても、生活が落ち着いた時には、バレエ教室に通った。大人になっても二回も習い直すことができて自分でもびっくりしてるよ。仕事の合間にかなり息抜きになっていたなあ。
やっぱりバレエが好きでした。
これから、バレエをまた習う時が来るかもしれないし、もうやらないかもしれない。
でも時々自分で踊ったり、クラシックをかけたり、夜、夢にみたり。好きなことには変わりません。
習いたいと言った時に通わせてくれた両親には感謝しています。
この経験と思いがあれば今後も大丈夫だよ。お守りみたいなもの。
感謝でいっぱいです、周りにも、自分にも。
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これから将来のこともちょっとは考えないとな、、、