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「機会費用」を自覚する
読書の秋。
『この社会で戦う君に「知の世界地図」をあげよう 池上彰教授の東工大講義 世界編』(池上彰著)
を先日読み終えた。
たくさんの学びがある本で、私にとってはなかなか理解が難しい箇所もあった。宗教のこととか、戦争のこととか。本全体としてはとても読みやすく、世界の出来事についてわかりやすい解説がされていた。「知らない」ではすまないな、日本のことも世界のこともちゃんと知っていかないとな、と思った。それも、できるだけ“タイムリー”に。
その本の中で「機会費用」という言葉を知った。
例えば、「大学で学ぶ」ということは、「社会に出て仕事をし、お金を稼ぐ」ことと引き換えに、時間とお金を使っている。体は一つしかないので、どちらか一方を選ぶことになる。そしてこの時に大切なことは、“自分で選択している”ということだ。
選択をするということは、他の選択肢を捨てる、ということである。少なくとも今この瞬間には。
一つを選べば、他の何十通り、何百通りの機会は失われているのかもしれない。大げさだけれど。
でもその分得られる機会は、それを上回るのかもしれない。数として上回るかもしれないし、価値として上回るのかもしれない。
どんな選択をしたとしても、絶対に過去に引きずられるようなことは避けたい。過去から今への道がまっすぐ繋がっている意識は持っていたいけれど、もし過去に対してマイナスな気持ちが自分の中で生まれることがあったら、そのエネルギーを“今”に向けたい。
映画「フォルトゥナの瞳」で、「人は朝起きてから夜寝るまで9,000回何かを選択している」と言っていた。
優柔不断な私だって、朝寝坊して寝ぼけた一日を過ごしてしまったと後悔する私だって、
友達と楽しく過ごせた私だって、今日は一人でいたいよって私だって、
ちゃんと人生の選択をして生きているのだ。すごいやん。
だから、日々の選択に疲れてしまった私を労いながら、ちゃんと自分の意思で生きられることに感謝しながら、前に進んでいきたいと思う。
「機会費用」
自覚するだけでずいぶんと一日の価値が変わる。能動的に動くことができる。その選択が、その行動が、すぐに実を結ばなくても。私の心や体の栄養分となって、ぐんぐん根をはることができるのだ。小さくてもいい。やがて、きれいな花を咲かせたい。
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