自分の魅力は自分では見つけにくい

わたしは整形をしている。

と言っても、今では多くの人がやっているであろう、二重を作る埋没のみ。


もともとわたしの目は一重で、奥二重のような薄い線さえなかった。奥二重に憧れた。

YouTubeを見ていると、奥二重の人が「一重メイク」と言った動画を出している。

わたしは未だにこれを許せない。

奥二重と一重はまったくもって違うものだからだ。

たった一つの線が、たった数ミリの線がないのとあるのじゃ全く違う。

本当にやめてほしい。

奥二重の人は、一重の重さを知らない。

一重にとって、奥二重は普通の二重と同じだ。

奥二重が送る一重メイクは役に立たない。

悲しいことに。




わたしの目は小さく、目と眉に距離があった。



人はそれを美人とは言わない。



わたしは可愛くなりたかった。

目が二重で大きくて鼻が小さく高くて、輪郭がシュッとしていて色白で細い、そんな美人でかわいい女の子になりたかった。



でも、なぜそれが美人なのだろうか。



黄金比だとか、世間一般の可愛いだとか色々あるけど、なぜ人の言う美人の特徴は同じなのだろうか。


わたしは埋没したことに後悔はない。

ようやく待ち望んだ二重を手に入れた。

アイプチが取れていないか気にする日々もなくなった。


その代わり、いつ取れるのかという恐怖は付き纏う。

埋没をして半年は、ずっとずっとそのことばかり頭にあった。


取れたら嫌だな。

結局は取れるもんだけど、いつ取れるんだろう。

取れたらまた埋没やろうか、それとも切開しようか。

ずっとこのままでいたいな。


そう思っていた。

決して安くはない値段。思っていたよりも痛い手術。

もう一度やるのかと考えると怖かった。




先日、好きな男性KPOPアイドルが約半年ぶりにパフォーマンスをした。

パフォーマンス動画と写真を見ると、メンバーの2人ほどが顔のアップデートをしていた。

一人は一重を奥二重にし、もう一人は鼻を高くしていた。


少し、寂しいと感じた。


整形をする前の顔だって、十分素敵だったからだ。

一重の目は彼の優しさを物語っていたし、少し低かった鼻はかわいげがあってキュートだったから。


寂しいと思うと同時に、わたし自身も周りの人にこんな思いをさせていたんだと気づいた。

母親にだけ言って整形をした。

父は何も言わなかったけれど、そんな鈍感な人ではないからきっと気づいている。

祖母には「二重になったね」と少し寂しそうな顔で言われた。

友達には何も言われていないけれど、きっと影で何か言っている。



整形は、その人との過去が曖昧になる。

視覚で得られていた情報にエラーが表示される。




アイドルを見て思う。

心のどこかで前の方が良かったな、と。

そう思ってしまった。


わたしもきっと、思われている。

今の顔に見慣れているのはわたしだけであって、他の人はわたしの顔を見るたびに寂しさを感じているのかもしれない。


でも、アイドルを見て思うことはまだあった。

彼らは、おそらく自分の外見に自信を持って、自分という存在に自信を持った。

整形をしてから、セルカが増えた。表情も今までよりも断然生き生きとしていて輝いている。


それが、整形をする一番の理由なのだと思う。

彼らもわたしも。


ただ、人の魅力には気づくのに、自分の魅力は自分で見出すことが難しい。それだけだ。


整形は、外見を変えるだけではない。

内面も確実に変える。





美容整形。

これをどのように利用するかは人の勝手だ。

勧めるということもわたしはしない。

リスクもあるし、正直賭けみたいなところではある。


そこまでして変えたい自分もいるのなら、整形はやっていいものだと思う。

決して、逃げなんかではない。

整形するまでの努力。

整形している最中のリスク。

整形後の恐怖。

すべてを抱き抱えるのだから。




わたしは、今の埋没が取れたら、やり直すかどうかは決めていない。

正直、絶対やり直したいとは思っていない。



一重の自分を愛せなかった後悔が、整形したアイドルを見て押し寄せたから。



今度は一重の自分も愛してあげたい、と

どこかで思っているのは、

今は二重であるからなのだろうか。

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