私が推しを人に言わない理由
私には推しがいる。
でも、その人を推していると他人に言うことはない。限られた長年の友達や家族にしか言っていない。だから、インスタのストーリーに推しを上げることはないし、誰かに布教することもない。
その理由を私は明確に分かっている。
理由は3つだ。
1つ目は、人に布教しても、その人が好きになることはよっぽどないと思うからだ。
まあ、私が天邪鬼すぎて人に勧められても全く見ない性格だから、他の人もそうだろうと思ってしまうのだ。でも、曲や映画や小説と違って、推しは必要な時に推しになるものだと思っている。元気がない時にふとその輝きに気づいて、元気づけられて好きになる。それが本当の推すきっかけのように思う。
2つ目は、推しには申し訳ないが、良いことから悪いことまで、結婚から犯罪まで、つまり推しに何かあって世間中に知られたときに、私はそこまで仲良くない他人に同情されたくない。
本当に仲のいい友達なら推しをどう思っているか自分で説明できるタイミングがある。でもちょっとクラスが一緒だっただけのクラスメイトや、もう会わないであろう人には私が推しをどう思っているのか説明できない。もう推していない。そんな時が来たとしても説明できない。
それが本当に嫌なのだ。
3つ目は、また他人に対してなのだけれど、私のことを嫌いな人間は私の推しを見るときも負のイメージになるのではないかということだ。
例えば、彼氏に推しを教えていて、一緒に見たりしていたとしよう。でもある時、大喧嘩をしてお互いこっぴどく嫌いになり、別れた。その後、彼氏がテレビや映画に出る推しを見た時、うわ、あいつの推しだよと思う気がする。少なくとも私は思う。
少しでも推しを嫌いだと思う人間を増やしたくない。(そんなに一般的に推しが嫌われているわけではないが、やはりコメント欄で心無いコメントが来ることもある。それを増やしたくない。)
これは完全に推しではなく、自分や周りの人間を信用できない私ならではの理由だろう。それにささやかでも推しを守りたい気持ちがある。
以上だ。
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