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書く、ということ

最近、まとまった文章が、書けない。

キナリ杯という企画を見つけたのは5月の頭のことで、面白そうだな、書いてみたいな、と思っていたはずなのに、締切まで1ヶ月もあったというのに、もうびっくりするくらい何も書けなかった。

それなら別にキナリ杯だって義務じゃないのだから何も書かなければいい話なのだけれど、でも、書いておきたかったのだ。
自分も文章に救われたことがある人間として。

だから、書けなかった、ということを書き残しておこうと思う。
書くという漢字がゲシュタルト崩壊しそうだけれど。

私が今ここで言っている「文章が書けない」というのは、文章を書くのが苦手だとか、何を書けばいいかわからないとか、夏休みの宿題のようにギリギリまで書くのを先延ばししてしまうとか、そういう類のものとはちょっと違った。

昨年の秋おじいちゃんが亡くなってしまったあとの書けなさに、似ている。

私はふだん、nanamomoというユニットで演劇などの作品をつくっているのだけど、以下は一緒にユニットを組んでいる「ほしなな」こと星野奈々に宛てて当時送った手紙の一部だ。

しぼんだ風船。
気の抜けたサイダー。

文字数だけならいくらだって、何文字でも増やせる。
けど、わたしはそれを、書けた、と呼べなかった。

元気が無いとか、病んでいるとか、そういうニュアンスとは少し違う。
上京してすぐの頃には毎回心を痛めていた人身事故のアナウンスにいつしか慣れてしまった日のような、そういう、もっと無意識的な感覚の麻痺。
スイッチのON/OFFよりもはっきりしない、フェーダーで切り替わるそれは、傷付かないための防衛本能なのかもしれない。

この時と似た状態に、今のわたしは、なっている。
コロナウイルスだけが理由かというとそうとも限らないけれど、周囲の環境が変化するとき、自分だけ変化せずにいることはおそらく不可能だ。


このお手紙に対して、ほしななから返ってきたお手紙の冒頭には
「なんというか、ももちゃんって文章だった。」
と書かれていた。
ももちゃんというのは私のこと。

どんな時でも文章を紡ぐことが出来るのがプロなら、きっとわたしは、文章を仕事にする人にはなれない。どんなに文章を書くのが好きでも。

でも、ほしななからのお返事を読んだとき、わたしは、常に「嘘偽りなく自分のことばを紡ぐ人」でいることは出来ている、と思った。
他人の言葉を借りてそれっぽいテンプレートで作られた「文章」ではなくて、言葉じゃ何かが余計になってしまったり何かが足りなかったりするもどかしさを感じながらも、懸命にその輪郭を掴もうとする真摯さを持って、自分、というものを文章に反映することは、出来ている、と思った。

だから、書けない、という今のこの感覚を大事にすることは、わたしを大事にすることだ。

かつて、大学時代の先輩が吉澤嘉代子さんの『ミューズ』という曲を「ももちゃんっぽい」と言って教えてくれた。

“透明であろうとするほどに すべてを吸ってしまう
貴方だから 物語になるよ”

この歌詞は、わたしのお守りになっている。

わたしはこれからも、書くことを、生きることを、あきらめずに、自分という物語を紡いでいける人でありたい。

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