【取材記事】わたしは何者かにならないといけないのか。新卒で青年海外協力隊でアフリカへ乗り込んでみた女性の話。
青年海外協力隊って知っているだろうか?「人生なんて、きっかけひとつ」「いつか世界を変える力になる」などのフレーズでCMやインターネットで知られている。
国際協力機構(通称JICA)が50年前に始めたもので、そのうちのひとつが開発途上国で2年間自分の経験や知識を活かして、その国や地域の問題解決に取り組むプログラムである。
コミュニティ開発や医療関係など、9つの分野で120以上の種類があり、今まで91カ国に5万人以上を派遣してきた。
テレビでよくみるアジアやアフリカの途上国での日本人の姿。実際に現地で活動している人たちはどんな人生を送り、どうやってその大陸までたどり着いたのだろうか。
2022年からJICA青年海外協力隊(以降協力隊)でウガンダで環境教育活動をしているYukiさん。獣医師になるための大学に通い、免許を取得してそのまま新卒で協力隊員としてこの地にやってきた。
そんな彼女の色鮮やかな人生を紐解いていこう。
幼いころからずっとアフリカに惹かれてた。就職を考えたとき、やっぱり野生動物に関わりたいという想いが溢れた。
「2022年の秋から、ウガンダの首都から1時間ほどの町で、協力隊員として活動しているYukiといいます。わたしはいま、野生動物保護教育センターという場所で働いています。
元野生動物が暮らす動物園をイメージしてもらったら分かりやすいかな?ここは怪我をしたり、親とはぐれたり、町中に出てきてしまった野生動物の保護をしている施設です。
環境教育という職種で、いまは動物の展示物や教育教材を作成したり、ゴミ問題解決に向けて、ゴミを使ったアート作りや、現地の人のゴミ捨ての習慣化のための啓発活動をしています。」
キリッとした眼差しでそう話すYukiさん。そんな彼女がアフリカに憧れるようになったのは、記憶にないほど幼いころ。
「きっかけは覚えてないんですよ。ライオンキングかもしれないし、何かのテレビかもしれない。でも、アフリカで逞しく生きる野生動物にずっと惹かれていました。」
気がついたらアフリカに惹かれ、野生動物に関わるために獣医師になろう。
小学生のときにそう決めた。しかしその夢は高校時代、先生によって粉々にされた。
「医者の方が人を助けられて、世の中の役に立つ。獣医になってどうするのか。」
そんな言葉をかけられ、少しずつ本当にその道がいいのかわからなくなり、勉強に身が入らなくなってしまい、大学受験に失敗。将来に悩みながら高校を卒業したある日、ふと、動物系のテレビ番組ばかり見ていることに気がついた。
(やっぱり動物が好きだ。好きっていう感情を大切にして、もう一度夢を追いかけたい)
人間関係や進路に悩み、精神的にしんどかった学生時代、「アフリカで野生動物に関わる人生を送りたい」その夢の存在が、何度も彼女を救った。
粉々になった夢が、もう一度繋ぎ合わされた瞬間だった。
思い出した獣医師の夢。充実した大学生活を経て、再び進路を考えるときが来た。
1年間の浪人生活で必死に勉強して、獣医学部への入学が決まった。充実した大学生活もあっという間に過ぎていき、就職を考える時期がやってきた。
「周りの友人は臨床獣医師になる人もいましたが、公務員や製薬会社、医療機器メーカーなど企業への就職もいました。
じゃあ自分は何をしたいんだろうって考えたときに、やっぱり野生動物に関わりたいって思ったんです。
ずっと憧れていた、アフリカの大地で野生動物が力強く生きる姿を自分の目で見たい。
日本での就職や、獣医師としての経験を積むことも大切だけど、「今」現地に行きたいという気持ちに嘘はつけませんでした。
大学の研究室も、野生動物に関われてフィールド調査のできる研究室を選びました。
ありがたいことにフィリピンの山奥で動物のサンプリングをする機会に恵まれました。
沖縄の野生動物保護施設を見学に行ったりもしました。
そうこうしているうちに、JICAの青年海外協力隊を知ったんです。」
サファリのイメージからケニアやタンザニアなどを希望していたが、その年の応募で野生動物に関われるのはウガンダだった。
約3ヶ月の選考を経て見事合格。環境教育という分野で『展示物や教材を作って、動物たちをわかりやすく広めて欲しい』という要請での赴任が決まった。
「1番の希望の国ではありませんでしたが、業務内容が魅力的だし、何よりやっとアフリカの野生動物に関われると思って、合格したときは本当にうれしかったです。今まで辛い時期もあったけど、踏ん張って生きてきてよかったって、今までの努力や挑戦が報われた気がしました。」
幼いころからの夢に向けて第一歩を踏み出したYukiさん。しかし、夢を叶えたことで新しい苦悩が生まれたのだった。
夢を叶えたことでこれからの目標を見失った。2年間のアフリカ生活が教えてくれたこととは。
日本で2ヶ月以上の訓練を経て、2022年ついに夢のアフリカ大陸に降りたった。
長年の夢が叶うと人はどうなるのか。喜ぶ?燃え尽きる?不安になる?全てかもしれない。Yukiさんは大学を卒業してすぐに夢を叶え、これからどうしたらいいのかわからなくなり、怖さや不安も感じるようになった。
しかし時間は待ってくれない。
「この2年間、ほんとうに色んなことがありました。展示物の作成や広報のつもりが、いざ来てみるとそもそも資材が手に入らないという問題にぶつかったんです。」
展示物を通じて動物を身近に感じ、新しい知識や知見を得てほしい。そう思いいくつも案を出すも、材料や資金の問題から実現できるのはごく僅かだった。
100人以上が在籍する大規模な施設で働いているYukiさん。敷地も広大で、7月8月のピーク時には1日200〜300の学校の生徒たちが見学に訪れる。
「思ったとおりにいかないなあってモヤモヤしてると夏になって忙しくなり、提示物の作成をする時間さえない時期がやってきました。
1日に何千もの子どもたちが訪れますが、みんな来て見て回って、出たゴミをその辺に捨てて帰るんです。野生動物の保護や環境保全を訴える施設なのに。職員もポイ捨てを普通にするんです。え???ってなりますよね。持って帰らないの?って。
日本とは文化が違い、出たゴミは持ち帰る。その発想がないようで、衝撃とストレスを感じました。基本は土日休みのスケジュールですが、平日どんどんポイ捨てが溜まり、土日は掃除のために出勤なんてこともざらに。」
ポイ捨てされたゴミを誤飲してしまう動物がいる。怪我や病気に繋がり、悪循環を生み出してしまう。当初予定していた仕事内容がうまくいかず、そして、新しく気がついたこの国の問題。
「ゴミのマネジメントをすることで、間接的に野生動物の保護に力になれるんじゃないかな」
そう感じた。そして、早速行動に移した。
ゴミを正しく捨ててください。そう言い続け、そして集め続けた
出たゴミは自分で責任を持って処理する。日本では割と定着している文化も、国が変われば習慣も違う。周りのウガンダ人の同僚にとっては、「ひどいけど仕方ないよね」と慣れた光景だった。
「もちろん持ち帰る、あるいは注意喚起すれば気を付けてくれる学校や子どもたちもいますが、『それは掃除の人がすることだ。自分たちが出したゴミじゃない。』など言って、その辺に捨てて帰る人たちの方が圧倒的に多いです。」
出したゴミはゴミ箱に捨てて
地面にポイ捨てはやめて
1日中アナウンスして、食事前の学校や団体に直接伝えたり、清掃員と一緒に朝から晩までゴミ拾いをした。
(ゴミ箱の数が圧倒的に足りない)
そう感じ、清掃員に聞き取り調査を行い、役職者にゴミ箱の獲得、設置を増やしてほしいと訴え続けた。
どれだけ掃除をしても、次の日にはまた大量のポイ捨てで地面が埋められる。精神的に、肉体的にもしんどい日々を送り、何のためにしているのかわからなくなる時もあった。
「無限の悩みのループにハマったこともあります。動物に関わりたくてきたのに、ゴミ拾って、何をしているんだろうって。でも、目の前の動物を救っても物事の根本的な解決にはなっていないし、その後ろにいるたくさんの動物たちは救えないから、こういう間接的に見えることに意味があるはずだ。
誤飲をしてしまう環境を変えられれば、動物たちを救える。訳がわからなくなった時はそう言い聞かせていました。次第に訴えが実って新しいゴミ箱を寄付してもらえたり、言い続けることで少しずつスタッフや来園者の意識も変わり、『今までで1番きれいな繁忙期だった』と言ってもらえたんです。
ほかにもペットボトルのキャップで国旗を作ったり、任期が終わってわたしがこの地を離れても活動が継続できるよう体制を整えています。展示物も動物の種類ごとに写真やわかりやすい文章で大きな幕を作ったり、半年かけてアニマルキーパーさんの仕事をまとめて展示したりしています。」
ウガンダで一進一退を繰り返し進み続けるYukiさん。2年近くの活動を経て、自分に何ができるのかを考え続け、行動し続ける彼女の未来はどう進んでいくのだろうか。
何者かにならないといけないのか?アフリカで暮らす夢を叶え、もっと世界を見たい欲に出会った。
「ウガンダに来て大変なこと、知らないうちにストレスが溜まってることはたくさんありました。現地のスタッフは期日は守らないし、約束に2時間以上遅れるのは当たり前。笑
人間関係はもちろん、異国での生活に慣れるまで時間はかかりました。でも幸運なことに私の任地では断水や停電もそんなに多くないし、首都へのアクセスも良いから想像以上に生活ができているなという印象が強いです。」
時間にルーズな人がいても、それもその人の一部。弱みかもしれないけど、それ以上にこういう素敵なところもあるよね。と、相手をそのまま受け入れる。そんな文化に救われていた。
「弱みは隠して、できるだけ人に頼らずひとりでこなすのが当たり前と思って生きてきましたが、アフリカで外国人ひとりにできることは限られています。できないことは頼るのが当たり前な国。言葉の壁も、文化の壁も、助けを求めたらみんな手を差し伸べてくれました。
日本を出て、この国は幸せの概念が全く違うと感じました。今日も健康に生きれていたら幸せ。美味しいご飯があって豊かな毎日。そんなマインドを得ることができたのは、財産だと思っています。心が少し軽くなりました。」
日本とは全く異なる環境での生活は、知らないうちにストレスにもなる。人に話したり、近くの自然に触れて穏やかな時間を過ごすことで、自分をリセットしている。
「2年間協力隊員として活動しましたが、幼い頃からの夢を叶えた喜びと、まだまだやりたいことが出てくる自分への驚きがあります。いつかは中南米に行ってみたい。アフリカとはまた全然違うんだろうなぁと思います。いろんな文化に触れたい。この2年間は、『動物を通じて世界に関わらないといけない』という思い込みが溶けて流してくれました。」
『動物はもういいの?獣医資格持ってるのにもったいないよ』と言われることもあります。一体私に何者になってほしいのか。もちろん動物はずっと好きだけど、他にもしたいこと、みたい景色が浮かんできたので、アフリカで学んだことを大切にしながら、新しい居場所ややりたいことを求めて生きたいとおもっています。」
編集後記
必要としてくれる人に届いてくれたらいい。そんな思いからウガンダでの生活を絵日記やSNSでの発信を続けているYukiさん。幼いころからのアフリカへの夢を叶えるのが怖くて、失うのが怖くてアメリカに来た筆者は、Yukiさんの一言一言に刺激され、励まされていました。
何者かになる必要はない。
自分が1番自分のことを好きでいれればそれでいいんじゃないか。
そのためにも、夢をもう一度思い返して大好きなアフリカに浸り、備える時間にしよう。
初心を思い出させてくれて、ありがとうございます。協力隊での2年間が、これから先何十年も続くYukiさんの人生をより豊かにすることを願っています。