変わったこと、変わらないこと、変わること。
義母の涙と義姉の怒号から数日後。
義母は義姉2人に付き添われ、数ヶ月ぶりに本当の家に帰宅した。
二泊三日の間、たくさん食べ、たくさん喋り、たくさんはしゃいだので、義母は熱を出した。
義姉2人の気持ちとしては、その心配よりも満足感が上回っているようであった。
「みんなすごく喜んでたの!おかあさんも楽しそうだったし、やっぱり帰らせて良かった!」
熱を出したせいで短時間しか透析を受けられなかった義母も同じだった。
「また帰る為に頑張る、っていう目標ができたよ!」
その後も私達の暮らしは変わらなかった。
具体的には、毎食毎食、野菜を茹でこぼし、水にさらす。
量や塩分などなどに気を配った献立を毎食整え、義母と食事を共にする。
その中で義母の体調不良の兆しの有無を観察しつつ、笑顔でお喋りする。
その情報を、ケアマネを始めとする専門家達、義姉2人、夫、と共有する。
透析の送迎をする。
義姉一家や見知らぬ親族の突然の来訪を笑顔で出迎え、もてなす。
その合間に最低限の仕事と家事と育児をこなす。
何も変わらない同居介護生活。
けれど実は変わってしまったことがあった。
それは義母とその2人の娘を『分かり合えない恐ろしい人達』と認識するようになったことだ。
かつて『家族想いで優しい』と思っていた人達のことを。
結果、私の最優先事項は『義母の安全』でなく『義姉2人の機嫌を損ねないこと』に変わった。
だからこそ表面上何も変わらない…というより変えられなかった。
義母の意向に沿わねばどうなる?
義母は義姉2人に愚痴を言う。彼女達は義母の言葉だけを信じるだろう。
私達の事情も言い分も、全く考慮せずに。
そして義姉(長女)が泣きながら怒鳴り散らす。
あんな恐ろしい目に遭うのは二度とにごめんだった。
もし同居をしなければ今でも義実家の人間全員を心から好きだっただろう。
でも、そんなことを考えても仕方がない。
あの差し迫った状況で同居回避という選択肢はなかったではないか?
何故なら『おかあさんは病気なの!』だし『私達は家族』なのだから。
『誰だって疲れる』ので言い訳は許されない。
そういう訳だから、今更同居を解消するなんて考えも、この時は全くなかった。
義母がを天寿を全うするまで長くても残り数ヶ月間。
変わらないこんな生活が続くのだと思っていた。
2022年の冬。
義母の余命宣告が取り消されるまでは。