何も大したことはない。

誰もすごくない。
何もすごいことはない。
全部、大したことはない。


こんにちは!ももです。

わたしは常々思うのですが―――
わたし達ってちっぽけだなあって!

もちろん、「そんなことはない!」「わたし達は立派だ!」とお思いのかたもいらっしゃることでしょう。そしてわたしはあなたがたのことも、そのお考えも、否定したくはないし、否定しません。
また、わたしが誰かを否定しないからといって、わたしは誰かから否定されるべきではない、とか思ったりもしません。それは個々人の自由ですからね。そしてわたしが誰のことも否定しないまま、私見をここに書き連ねることもまた自由。あれ〜、なんかいつもこんな入りかたしてます?わたし。

失礼。争い事を好まないもので。

誰が、わたし達は立派だと言ったか?
別に誰も言ってないかも。
それでもわたしは思うんです、
わたし達って取るに足らないなあと。

生まれて、生きている時間が長くなればなるほど、歴史というものができていくんですね。歩いてきた道についた足跡みたいにね。
その人だけの、その人自身の歴史。家族の歴史。国の歴史。種族の歴史。星の歴史。色々ありますね!わたし達が「なるほど、こうしてみると、歴史も色々あるんだなあ」と思えるのは何故か。それは、人間がそういう毎日の積み重ねを歴史として記録し続けているからだと思います。
サバンナの野生のライオンが、3日前に食べたものがシマウマだったか仔ウサギだったかなんて、日記につけていますか?池の鯉が、今日は何人の人間が池に来てゴハンを投げ入れていった…とか、いちいちどこかに書き留めていますか?

人間ってのはつくづく、
どうしてこうなんでしょうか。

出来事を記録して歴史として残す……そんなことに何の意味があるの?と思いながら、それは「未来」を考えることができる人間の"いいところ"なのかもしれませんね。

そうです!
わたしは人間をディスりたいわけでもないし、ネガってるわけでもないんです。寧ろ、わたしは人間が大好きです。

弱くて小さくて、小賢しくて愚かしい、人間のことが、わたしは愛おしくてたまらない。


誰もすごくない。
何もすごいことはない。
全部、大したことはない。

心からそう思いながら同時に、

皆、とてもすごい。奇跡の存在。
全てのことがすごい。有り得ないレベルの奇跡の上に成り立つ現在。
全部、特別で、素晴らしい!

そんな風にも思っています。

ダブルスタンダード、というと無駄にカッコいいかもしれませんが、わたしはよく矛盾した考えを持ちます。わたし的には、他人から(思考の構造や意見の根源が)パッと理解されにくいので少し困っているのですが、矛盾した考えのそのどちらもがわたしの本心というか、嘘偽り無い、紛れもないわたしの意見だったりします。

わたしは自分を含めて、この現在に至るまでに生まれたり死んだりした全ての命と、この星について、"奇跡"という言葉が相応しいと思いながら、
そういう"しがらみ"から自由になりたいとも思うのです。

疲れたのでこの記事はそろそろ終わりになりますが、最後に、わたしから皆さんへ。ちょっと長〜いひとこと、失礼いたします。

わたしは、自分の存在を道端の小石のように思う時があります。なにも自分を卑下しているとかそういうことではなくて。
わたしは一般人で、人気も無ければ、責任も少ない。わたしが死んでも、社会にも、この星にもなんの影響も与えないで済む。それってとてもすばらしいというか、気楽でいいですよね。
よく、「仕事が辞められない。いま辞めたら皆に迷惑がかかる」とか言ってる人がいますけど、病気ですよ。真面目で責任感があるのはいいことかもしれませんが、ほら、芸能人のかたもおっしゃっていたでしょう。CEOが亡くなっても第一線を張る企業さんはあるんですよ。ハッキリ言うけど、アナタ如きが辞めたところで、誰も困りゃしないんですよ。それがわからないのは頭が悪いからじゃなくて、過労とかストレスによって脳が何らかのエラーを起こしてて正常に作動してないからなんですよね、つまり病気なんです。
ええもちろん、わたしは揶揄しようとして「病気だ」だのなんだのなんて、言ってないですよ。大体、迷惑をかけずに生きようなんて、どうして思っちゃうんですかね?まあ、親からの教育なんでしょうけどね。迷惑なんてかけ合うものなんですよ。と言うと、勘違いする馬鹿がいるんですけど、かけ合えとは言ってないんですよ。ここを勘違いする奴はね、病気でもなんでもなくて、「ココ」が足りてないだけですね。

結局、誰が死んでも、社会は回っていくし、新しいニュースには事欠かないんですよ。何が起こっても。絶望の最中にいても、布団の中にいても。朝は来るし、お腹は空くんです。

それってすごく安心できませんか。道端の小石が、誰に蹴られて側溝に落ちた……とか。風に吹かれて自販機の下に入った……とか。そんなことを、一体誰が気に留めるでしょうか。
わたしの生き死にも同じこと。わたしの生死など、誰にとってもどうでもいい。誰もわたしの生き死にについて興味が無い。そう考えるだけで、わたし、ふっと少し、ラクになれるんです。



ありがとうございました。

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