毒親に育てられた話④
お久しぶりです。大学のテスト勉強でバタバタしてしまい、なかなか投稿できず申し訳ないです。
多くの方に読んでいただけているようでうれしかったです。ありがとうございます。
さて、浪人生時代のことについて書いていきます。
塾に通うことが中学受験のトラウマでできず、塾に通わずに国公立を目指していましたが、全落ちという結果に終わり、浪人せざるを得ない状況でした。
大手の予備校に通うことになったわけですが、ここでもひと悶着ありました。
どうしても国公立に行きたい私と、私立一本にしてほしいという母親で3月末から4月上旬まで大喧嘩していました。予備校の受付で泣いたこともあります。後にその予備校でアルバイトすることになるわけですが、覚えてるよと当時対応してくださった職員さんに言われたときは恥ずかしかったです笑。
母親は自分の自慢にできるという理由で私立のトップ校に行ってほしいといっていました。直接は言いませんが、遠回しに言われていました。
ただ、自分の成績は自分が一番わかっているので、私立トップは無理という事は分かっていました。しかし母親はそんなことは関係ありません。自分のプライドを保つためだけに私立に行ってほしいといわれました。
結局自分の意志で決めたほうがいいという職員の声で、国公立大のコースで勉強をすることになります。
ただ、通っている間も学費が高いとか、講習代が高いとか言われ続けました。
高いことはもちろん分かっています。もともと浪人は人生の予定になかったことだったので、想定外でもあったわけです。(まあほとんどの浪人生はそうだと思いますが。)ただ、それを本人の前でいう必要が果たしてあるのかと思っていました。アルバイトをしていたわけでもないため、お金を稼ぐ手段がない人間に、お金の話をする意味が私にはわかりませんでした。
そして受験校を決定する際、国公立を受けてもいいけど、私立トップ校も受けろ、数を打てといわれ、過密スケジュールをこなしていました。
当時のチューター(今の職場の先輩にあたる職員さん)には、どうすればこの過密スケジュールを無くせるのか、もっと数を減らしてあげたいといわれるほどでした。
正直数が多すぎて対策も間に合わず、しっかりすべてを対策して受験できたわけではありませんでした。また、記憶があまり残っておらず気づいたら受験会場にいるという事もありました。
センター試験の数学で大失敗したこともあり、国公立受験は結局上手く行きませんでした。
私立のトップ校に合格することもなかったため、別の大学に進学することになりました。そしてここでもいろいろなことを言われ続けています。