毒親に育てられた話①
SNSでよく見る言葉である「毒親」、「親ガチャ」。いい意味として使われる言葉ではありませんが、私結構これ言われて育ってきたぞ?ということが多かったので記憶を遡って書いてみようと思います。
正直書くのはしんどいですが、育ってきた環境がこうだったということ、よくないことだということは揺るがないと思うので書きたいと思います。
小学生まで
かなり色々縛られて生きてきたタイプだと思います。「〇〇しなさい」と言われ続けて生きてきました。
その通りにしなければ怒られるという日々でした。
例えば着る洋服、遊び方、進路などです。
まず着る洋服について。
これを着なさいはしょっちゅう言われていました。あまり私が意志を見せるタイプの子供ではなかったといこともありますが、ピンクのヒラヒラがついたスカートを穿かされることがしょっちゅうでした。とても嫌でした。
名前に桃が入っているためピンクのものを親戚や親から与えられることが多く鬱陶しくてしょうがなかったのですが、使わないと怒られるという恐怖から使わざるを得ませんでした。
お陰で?ピンクはなかなか好きな色とは言えず、今も距離をとっています。
そして遊び方について。
あまり外で遊ぶことは許されませんでした。小学校3年生から塾に通わされたということもありましたが、公園で遊ぶという経験がほとんどありません。学校終わりランドセルを置いてそのまま公園に行くということに子供ながら憧れていました。
さらにほしいものを言うこともできず、キックボードが欲しいと一度お願いした時に色々理由を言われて買ってもらえなかった記憶があります。
これくらいの時から私のお願いは聞いてもらえないのでは?と思いはじめたのです。ただ、妹が欲しいと言っていた一輪車は買ってもらえていました。いわゆる兄弟格差を感じていました。
続いて進路について。
お金をかけて勉強させてもらえるなんてありがたいことだと一般的には言われると思います。そこは同感です。ただ、お金をかけたから成績が伸びるという命題は必ずしも成り立つわけではありません。この点を両親、特に母親は理解がありませんでした。なぜ母親だけかというと、両親が離婚し父親とは小学5年生以降全く会っていないため父親のスタンスはわからないままだからです。
前にも書きましたが、小学生の時通っていた集団塾はどうしても合わず、食事を摂れないくらいまで来てしまい、個人塾に転塾しました。ただ私が通わせてもらった個人塾はかなり高価でした。そのため受験前から「こんだけお金をかけたんだから!!!」と言われ続けていました。プレッシャーに押しつぶされ、解いて解答を見て合っていることを確認しないと気が気でないという状態になってしまい、しまいには全く意味はありませんが、解答を見ながら問題を解いて少しでも合っている問題を増やさなければという発想になってしまいました。
小学校までお金をかけてもらった、中高も私立だったためお金をかけてもらったということを言われ続けながら育ちました。
そして家族関係についても色々言われるようになりました。
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