小学生だった私〜離婚といじめ
こんばんは。ももです。
今日は小学生だった時の自分の気持ちについて書こうと思います。
成績不振
私は公立の小学校に通っていましたが、中学は受験をして私立の中高一貫校に行くことを目指していました。
目指していたといっても、気づけば塾に通わされ志望校が決まっていたという感じです笑。中学受験あるあるですね。
小学校3年生の頃から塾に通わされていました。この頃は大手塾で勉強していました。中学受験といえば!で大体出てくる塾だと思います。
小学生3年生で塾生が少ないということもあり、ちょっと成績が良ければすぐ1番上のクラスにいけてしまう状態でした。この時私は成績が割と良かったこともあり、1番上のクラスに振り分けられてしまいました。このクラスの子達は、御三家を目指してガリガリ勉強するような人達です。授業で扱う問題も、解き方も1つ下のクラスとはレベルが違います。これに戸惑った私は、授業で全くついていくことが出来なくなります。小学校のテストでは100点が当たり前に取れているのに、塾では平均すら取れなくなってしまうのです。このギャップに耐えられず、ご飯も喉を通らなくなり、痩せ細ってしまいました。
この状況を重く見た両親は、クラスを1つ下げるように塾に言ってくれました。これで授業のレベルはちょうど良くなりました。ただ、子供同士の面識はあるままです。さらに、まだ遠慮ということがわからない年齢です。1番上のクラスにいた子に「クラス下がったの?」とストレートに言われたりもしました。また、クラスが下がれば成績が上がるはずだと考えている両親は、クラス内でトップくらいにいないと怒鳴り散らかすということを日常的に行なっていました。毎週確認テストがあり、順位が発表され、トップくらいにいなければ怒鳴られ、授業内である漢字テストでもトップくらいでないと怒鳴られていました。自分でもどうすればいいか分からず、頼れる唯一の大人にも怒られるだけでどうしようもなかったのです。結果小学5年生の終わり頃にその塾は退塾し、個別塾を転々としました。
この塾を批判するつもりは全くありません。ただ自分には合わなかっただけだと思います。毎週テストを行うことで点数や順位がわかることで、モチベーションが上がる子もいると思います。私にとってはプレッシャーになっただけのことです。先週と同じくらいにいなければまた怒られると怯えながら勉強していたんだと思います。
小学校でのいじめ
小学生5年生の頃、塾では成績不振に苦しんでいましたが、小学校ではいじめに苦しんでいました。
小学生3〜4年生の時には仲の良かった子に陰口を言われ始めました。この子は同学年女子のトップカーストにいた子でした。周りも私にあまり話しかけなくなってしまったのです。話す女子は格段に減り、聞こえてくる陰口に耐える日々でした。
1番しんどかったのは席替えの結果、いじめをしていたAちゃんが私の斜めの席になり、私の隣にはAちゃんが1番仲良くしているBちゃんがいた状況でした。授業中に聞こえてくる「Bちゃんがかわいそう」というAちゃんの声に何度も泣きそうになりました。
先生に相談しましたが、形だけの話し合いをさせられただけで根本的解決には至りませんでした。先生も女子のトップカーストを忖度した結果です。
母親にも相談しましたが、母親は母親でいっぱいいっぱいだったこともあり「いじめから逃れるために受験勉強を頑張れ」としか言われず、解決はできませんでした。
両親の離婚
私が成績不振に陥り、いじめにも悩んでいた頃、両親の仲は最悪でした。
前々から仲が良かったわけではありませんでしたが、いよいよ離婚するのでは?と子供ながらに感じていました。
夜中は喧嘩している声が聞こえたり、私たちの前でもあまり話さない状況が続いていました。
結果離婚することにはなりましたが、父親と母親どっちについて行くかは自分たちで決めろと言われてしまいました。当時小学生5年生の時です。正直どっちでもよかったのですが、同性だしという理由だけで母親について行くことにしました。というかその選択しか認めないぞという雰囲気はありました。
離婚して別居した後、母親は私に父親の悪口を投げかけ、仕事の愚痴を投げかけていました。これが一番ショックでした。母親にとって父親は赤の他人とはいえ、私には変え難い唯一の父親な訳です。自分も否定されているような気がしていたのです。また、この頃に小学生のいじめを告白したためまともに助けてくれることはありませんでした。これはしょうがないことだと思います。
また、母親はよく父親に苦しめられてきたと言っていましたが、私は父親も母親も勉強についてよく怒られていたため、全てのことについて父親が最低だとは思えなかったのです。もちろん髪を引っ張られたり、怒鳴りつけられたこともありますが、母親が止めてくれたりすることもなく、むしろ加担しているように感じていたのです。
ここまで読むと私は離婚反対と思っているのではと思われると思います。ただ、私は当時の両親にはこの道しかなかったんだと今でも思います。仕方のないことだったんだと思います。というかそう解釈するしかありませんでした。両親が仲の悪いままでいいことは無いと思います。
しかし、唯一の父親である人物の悪口を聞くことは何よりもしんどかったです。前回書いたように、生涯続く趣味を教えてくれた存在です。父親と離れて初めて父親の存在の大きさに気づきました。長女ということもあり、かなり父親に似ている部分もあります。それを自覚していた私には自分への悪口にも聞こえてしまったのです。しかしこれを言うと「じゃあ父親のところに行けばいいじゃない!」と泣きながら怒鳴るのです。しかし、父親が何をしているのかどこにいるのか分からないため、どうすることもできませんでした。それから母親の前では父親に関連するようなものは何もいえなくなってしまいました。今でもこれは変わりません。
では離婚した両親は子供にどう接するのが最適なのでしょうか?
これは正解が出ない答えだと思います。離婚しても両親どちらとも連絡を取れる子供もいます。連絡を取れない子供もいます。これは家庭の方針によると思います。子供にはどうすることもできません。
私の場合は父親の悪口だけは聞きたくありませんでした。しかしこれが全ての子供に有効なのかはわかりません。父親に暴力を振われた子供などはまた話が変わってくるかもしれません。
この経験を経て
この経験を経て私は、人の心を深く読み取るということができるようになりました。家庭環境が最悪だったことで、2人に刺激を与えないように生活するにはどうすればいいかずっと考えていました。これが必ずしもいいかはわかりませんが...笑
また、世の中に絶対はないと感じました。より1日1日を大切にしようと感じるきっかけにはなりました。
もちろん離婚はしないほうがいいし、いじめられない方がいいこともたくさんあります。ただ、私はこれらの経験を経ていろいろな方向から物事を考えられるようになりました。
今日も書きすぎました笑
読んでくださりありがとうございました🥰