今を変えたかったアラサー女が、キャリコン資格の勉強を通じて「自分の価値」に気づいた話。

昨年7月からはじまり、約9カ月。
私はキャリアコンサルタントの資格をとるべく
仕事のかたわら、学校に通い、講座を受講し
そこで得たツテで勉強会に参加していた。

――受講動機は単純。
「今を変えたかった」からだ。

――――――
★仕事
二十歳で夢を見て出版業界へ飛び込むが、
布団で眠ることすら許されない過酷な現実から逃亡。
その後、夢を捨てきれずライターになるも、
後輩の驚異的な才能に心折れ、後輩の育成に注力。
営アシ兼進行管理・ライターとして細々と働く。

★恋愛
8年付き合った人と別れ、気づけば一人に。
さみしさに漬け込まれ、2番目の女になり
毎日ただスマホの着信を待つ日々。

★趣味
大好きだった作品で創作活動をし
そこそこの評価を集めるも
発言を誤解され炎上。界隈から居場所を失う。
――――――

中途半端な経歴、誰からも選ばれない自分。
丈夫な体はない。特別な才能もない。
そんな自分にできるのは
「今」を変える努力をすることだと思った。

……とかっこいいことを言っているけれど
いつか来るかもしれない連絡を待ち続け
気が気じゃない時間を過ごしている自分が嫌で
その気持ちの置き所を探していただけだ。

「資格の勉強をする」という目的。
「今日は新たな学びがあった」という、1日の意味。
今振り返れば、ただそれだけがほしかったのだと思う。


そんな動機でスタートした試験勉強。
ちなみに、キャリアコンサルタントとは、仕事に関する悩みや相談を聞き、その人が自主的に仕事やキャリアチェンジなどに取り組めるよう、支援していく国家資格だ。

3ヶ月に渡る、自宅で行う基礎講座の動画講習は開始5分で寝落ちを繰り返し、結局何も頭に入らなかった。分厚いテキストは枕。勉強を試みる度、とにかくよく寝た。
基礎講座卒業試験は、テキストから答えを探して適当に埋めた。

3ヶ月経つと(動画を見た前提で)
通学過程の応用実習講座がスタートする。
最初の授業、先生から「ロジャーズはどんな療法を唱えましたか?」と言われた。

ロジャーズ?誰それ?
私は先生から、そっと目をそらす。
後ろの席から、落ち着いた女性の声で
「来談者中心療法です」と聞こえた。
振り返れば、ショートカット美人のお姉さん。
美人大好き。ありがとう。……いや、そうじゃない。

先生はちらりと私を見た後
「ちゃんと勉強してますか。基礎講座がわかってないと、応用なんてできないよ」
と言った。私はわかりやすく下を向いた。
(ちなみにロジャーズさんが誰で何をしたかは
基礎講座のテキストの最初の数ページに書いてあった。
キャリアカウンセリングの基礎を作ったともいえる人だった)


5時間にわたる初回授業のあと、私は思った。
「あれ、これ私向いてないんじゃない?」

毎日お仕事もあって、10時間くらい働いて。
その上でこの勉強って、私の人生に必要???

でもこの講座を受けるために、私は親に20万の借金をした。
講座を受講し終われば50%戻ってくるという助成金がある。
助成金をもらわないと、親に返済もできない。
とにかく、講座を受け切らなければ。


そんな私の意識が変わったのは、3度目の授業だったと思う。
その前の授業で、先生からある宿題を出された。

「日常でなにか心が動いた出来事1つに対して、
 徹底して浮かんだ感情と、その理由を書いてきてください」

その宿題を、たまたま私は先生の前で発表することになった。


私が発表したのは「上司に怒られた」という出来事。
そして、そのときに芽生えた感情について
徹底的に「なぜ」を追求していく。

「悲しかった」→いつも認めてくれない→上司に認めてほしかった
「腹が立った」→いつも上から目線で話してくる→対等に話をして欲しかった

とそこまで話し、それで終わると思ったところで
先生は私に聞いたのだ。

「あなたは、どうして認めてほしいの?」

仕事だから、評価されてしかるべきだから。
上司が自分の仕事を認めてくれれば、それが査定にもつながるからだと思う。

「仕事を認められて、評価されることは
 あなたにとってどんな意味があるの?」

……それに、どんな意味があるか?
仕事なんだから、評価されて、成長していくのが当たり前。
それが私自身の評価になるんだから。

「仕事の評価イコール、それがあなたの評価ってこと?」

服のセンスがいいとか、やさしいねとか
それは思ってなくても言えること。
でも、仕事の評価は実績が伴っているからこそ、嘘がない。
だからそれが自分の評価だと思う。


先生からの問いかけに答えていて、気が付いた。

私は、仕事で評価されることが自分の価値だと思っている。
プライベートで人に裏切られ、自分の価値を見失ったこと。
お世辞や適当な褒め言葉を信じられず、確かな価値を仕事に求めていること。


でも、仕事イコール私ではない。
上司が評価のすべてではない。
自分の評価は、上司が決めるものではない。

私はとんでもない思い違いをしているのではないか?


その日、家に帰って私はノートに
「失恋した」という出来事を、小さく書いた。

悲しい→裏切られた→本当は一緒にいたかった
つらい→信じていたのに嘘だった

そんな、しょうもないあれこれを
つらつらと書きなぐっていき、最終的にたどり着いたのが

「私はたださみしくて、自分を認めてくれる存在が欲しかった。
 理解して、そばにいてくれる存在なら、彼じゃなくてもよかった」

という結論だった。

そもそも、自分の「価値」を求めることに何の意味があるのか。
五体満足で、寝て起きたら当たり前に朝が来て。

そんな幸福な人生のなかで、ただ価値や評価に縛られて
視野を狭めている自分の滑稽さに、
馬鹿みたいにひとりで笑って、泣いた。

その結論に気が付いてから
私の勉強に向き合うスタンスも大きく変わっていった。
先生の授業はいつも前のめりに聞き、
言葉をもらさないよういつも丁寧にノートを取った。
勉強会にも参加し、ほかの先生の知見もメモを取った。

仕事帰り、母にチーズケーキを買って帰った。それだけで母はうれしそうに笑っていた。
好きな本を読んで、好きな音楽を聴いて、同じものが好きな人たちと語り合った。
友だちに、取り繕うことのない本音をぶつけた。友だちはその本音に応えてくれた。
好意をもってくれた人に、ありのままの自分で接した。その人は私の良いところ、駄目なところも含めて受け止めてくれた。

「価値」や「評価」に縛られていた自分をやめて、
自分の視野を広げ、本音で語るだけで、かかわる人も変わった。
自分らしく人と笑い合っている私のことを、私も少しだけ好きになれた。

「起こった出来事は変わらない。
 でも、その捉え方は、思考ひとつで変えられる。」
自分の世界を狭めるのも、広げるのも、すべては自分次第。
それに気づいたら、なんだか呼吸が楽になった。

この資格の勉強をして、よかった。
9ヶ月のなかで私がたどり着いた答え。

先日受けた、試験の結果はまだ出ていないけれど。
でもこの先も勉強はしていくだろう。

正直、キャリアカウンセリングは、日本ではまだまだ浸透していない。
メンタル領域ではなく「キャリア」に関する相談となるため
その必要性を問われることも多いのが現状だ。

非正規か、フリーランスで働くことが多く
これを仕事としていくには難しい資格でもあると感じている。
この資格を取ったから、収入が跳ね上がるとか
生涯安泰!というものでもない。

でも、この資格の勉強を経て得た知識やスキルは
人生をより豊かにとらえ、より生きやすくするために
大切で、意味のあるものだと思っている。

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