藤原基央は、星でも神でもない。

わかっている。
彼は、1億以上の人が生きるこの日本で
唄を生業にしてきたというだけの
ちいさな個人であることを。

まあ街頭アンケートで
「この人知ってます?」投票をしたら
10代~30代くらいの音楽大好き人間には
「藤原基央!」「藤くん!」と叫ばれる
知名度をお持ちだとは思うけれど
全国民の誰もが知っている有名人ではない。

うまく喋れないことを音に込めようとするし、
仲間と音を鳴らすことを楽しんでいるし、
なんかうまく言えないけれど
私は彼が「人間」であることを知っている。

なのに、舞台に立って歌う彼を見ると
私は彼を、神とか星とか
人ではないなにかに当てはめようとしてしまう。
それは今回の東京ドームでのライブでも同じだった。


私はいわゆる「めんどくさい古参ファン」だ。
しっかり自覚はある。

彼らが初期に掲げた方向性を引きずって、勝手に藤くんを神と崇め
「テレビに出るの!?」「DL配信!?」
「最近、シンセ強すぎて藤くんの言葉が聞こえない」と騒ぎ立て
最終的に初音ミクと楽しく歌う藤くんを見て
「神は死んだ」と泣き喚いてふさぎ込み、
彼らのことを追うことを一度諦めている。

藤くんにしてみれば
「神ってなんだよ」という話である。
勝手に神格化して、理想を押し付けて
方向性が変わったことを勝手に嘆かれているのだから。

別に、彼らは何もわるくない。
時代が変われば、年を重ねれば、
伝えたい音や唄も変わる。そこに集うファンも変わる。
それが合わなければ、離れればいい。
ただ、それだけのことなのに。

思春期に真っ暗闇から私を救い出してくれた
藤くんの言葉を、私は神のお告げのように抱きしめて
常にあの頃の彼らを探しづけてしまう。


2019年、11月4日。ツアー最終日。
東京ドームを満たすのは、まばゆい色。
皆の腕に光るラバーバンドが放つ、人工の光は
前回も見たはずなのに、どうも慣れない。

掲げた拳、天に伸ばす指。
届かないと知っていながら、必死で手を伸ばす。
その手は、届かないからこそ美しいのに。

花道を歩く彼らに、我先にと手を伸ばして
ハイタッチをせがんだり、触れようとするファンたちを
私はどこか冷めた目で見ていた。

藤くんが、笑っている。
チャマさんが、皆に呼びかける。
ヒロが話そうとして、うっかり噛んじゃう。
秀ちゃんが、当たり前のことを叫んでる。

解散しちゃったバンドや
ファンを裏切る形で消えていったバンドも多いなか
何年経っても4人は4人のまま、
仲良く音を鳴らしてくれる。

そんな事実をうれしく思うと同時に
今のファンたちと同じ熱量で
彼らに手を伸ばせない自分。

曲が終わるか終わらないかのところで
「藤くーーん」と叫ぶ男女の声に
黙って聴けよ!終わってないだろ!と
もやもやしてしまう私をよそに
周囲のファンも、舞台のメンバーも
最高だな!って笑っている。

世界中に自分だけが取り残されたような気分で
スポットライトの下、叫ぶ彼らを見つめていた。


ライブ中「GO」のイントロで
「響く鐘の音のような あのメロディーを思い出して
 出会った時に 僕があなたと 一緒に立てた旗」
と、メロディーフラッグの唄になぞらえて
藤くんはそう歌っていた。

メロディーフラッグが彼らによって
最初に私たちに届けられたのは、2002年。
あの頃の私は、確かに彼らを信じていた。

この世界にBUMPの音があるから、
この世界に藤くんの言葉があるから、
悲しくってつらくって立ち上がれない日があっても
何度だって、また明日が来るのに立ち向かおうと思った。
その気持ちは、あの頃も今も変わらないのに。
あの頃立てた旗を、私はどこで見失ってきたんだろう。


最新のアルバムで「望遠のマーチ」を聴いて
たとえどれだけ音が変わっても
藤原基央は変わらないんだな、
と思ったフレーズがある。

「夜を凌げば太陽は昇るよ
 そうしたら必ずまた夜になるけど」

たとえつらい日を乗り越えて朝が来たって
また必ず、つらいと思うことはある。
綺麗ごとじゃなくて、人生ってそういうものでしょ、と彼らはずっと歌っている。

いくら絶望しても、希望を探しても。
苦しいって叫んで、立ち止まったとしても。
今日まで頑張って生きてきた自分を信じて
前に進むための力を、彼らはずっと私たちに届けてくれる。

彼らのスタンスは、ずっと変わらない。
なのに、表面的な変化をひたすらに嘆いて
色んなことを求めているのは、すべて自分自身。
むしろ、彼らのことだけを信じて見ていた過去の自分から、変わってしまったのは私の方だ。


ツアー最終日、藤くんはとにかく
色んな歌の歌詞を変えて歌っていた。
でも一番多かったのが「明日」につないでいく
そんな歌詞だったと思う。

明日がつらくなって、笑えなくなって
そんな日のために、彼らは歌ってくれている。
自分を見失ったときも、君はここだよ、俺はここだよ、って、思い出すための道しるべ。
まるで真っ暗な夜空に浮かぶポラリスのように。

私は確かにそのポラリスに導かれて
人生を取り戻し、今日の日を笑って過ごしている。
ドーム中を埋め尽くすたくさんの人たちの中にも
彼らに導かれて、彼らの音によって前を向けた
そんな人たちがたくさんいるだろう。
きらきらと輝く希望に手を伸ばすファンたちに対して、私は勝手に、希望は遠くで見つめ続けているべきだという想いを押し付けて、許せないでいる。


私にとっての星だとか
私にとっての神だとか。
なんやかんや名付けてみたって、
結局彼は「藤原基央」というたった一人の人間だ。
でも、彼を見つめるたくさんのファンの数だけ
彼をなにかに定義付けようとする気持ちは生まれるだろう。
好きな人、憧れの人、神、星、夢、希望。
彼に何を重ねるか、それは人の数だけ違う。

でも、ライブという時間は
たった一人に人生を変えられたたくさんの人たちが、音楽を挟んで、彼と対話をしている。
ただそれだけ。

手を伸ばし続け、その体に触れようとするファンたちと
同じ方法で彼らを愛せはしないけれど
彼らはそのファンがいるから、今日も歌っていられる。

彼らの売り方や、それを取り巻くファンは変わる。
でも、私が彼らのおかげで
「明日」をきちんと選べたことは、変わらない。

ずっとCDを聴きつづけていた私が、生身の彼らと最初に出会ったのは、さいたまスーパーアリーナ。たしか、もう15年も前のことだ。

みんなで同じ景色を一緒に見て、一緒に拳を掲げた遠い日は、どんどん薄れていくけれど。
私が彼らに救われたこと。彼らの曲と共に生きてきたこと。
その事実は、何年経ったって変わらない。


本当の「ありがとう」は「ありがとう」じゃ届かないけれど
でも今日も、藤くんが、BUMPのみんなが
唄いつづけてくれていることに、ありがとう。

この声は、彼らに届くことはないけれど。
でも、この先の未来でまた、私の心が彼らの曲や彼らをとりまくファンたちから遠ざかっていったとしても、今日まで生きてきて、明日も生きていくであろう私が、藤原基央という一個人の言葉や音に背中を押されてきたのは、紛れもない事実で。

その事実に感謝して生きていくことだけは、忘れたくないと思った一夜だった。

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