【お知らせ】noteの端っこマガジンの姿勢について
【noteの端っこ】マガジンを読んでくださる方、スキと伝えてくださる方、コメントをつけてくださる方、タグをつけて書(描)いてくださる方がいらっしゃって、毎日しあわせを感じています。
ほんとうにありがとうございます╰(*´︶`*)╯♡
今日は【noteの端っこ】マガジンの姿勢についてお伝えさせてください。
【noteの端っこ】マガジンの姿勢
まずは、わたし自身のマガジンへの向き合い方について。わたしは、学生時代や仕事をしていた頃から紙のノート派なのですが、本文を書くよりもノートの端っこに絵やひとことを書(描)くのがすきでした。そんな端っこに書(描)いたものをぽつぽつ公開していくつもりでおります。
次に、他の方の作品について。タグをつけてくださったものを、きまりごとなく、全てマガジンに追加させていただきたいと考えています(作者さまからお断りされた場合を除く)。
ノートの端っこに何を書(描)くかは、ひとそれぞれ、自由だと思うからです。
そういうことで、「マガジンへ追加されていないよ!」という場合も、「マガジンへ追加されたけど、やめてほしいよ!」という場合も、お手数をおかけしますが、ご連絡ください。
今後とも【noteの端っこ】マガジンと「ただの読み手・もも」をよろしくお願いいたします。
おまけ:今の反省を次へつなげる
小さなカタチではありますが、初めて企画(に準ずるもの)を主催してみて、自分の考えが浅かったことに気がつきました。
同じタグをつけて作ってくださったものを集めるという行為には、集める主体(この場合はわたし)と集められる客体(同じタグをつけて書(描)いてくださる方)との間でチカラ関係が生じるのではないかと考えるようになったからです。
例えとして、「なぜ、ラジオで投稿メールが読まれるとうれしいのか」についてお話すると、それは、すきなラジオ番組のライターなりパーソナリティなりのお目に適った!と感じるからではないかと、わたしは考えています。言い換えれば、その番組のコレクションに追加されたというステータスを得て嬉しくなる、とも言えるかもしれません。
とはいえ、今お話したラジオ番組の例のような状況が成立するのは、その番組が「番組としての地位」を確立しているからだと思うのです。
ただ、わたしが知る限りの、noteの世界を含むネットの世界では、誰もが集める側に回れるような雰囲気、可能性があります。それは面白さでもあるけれど、誰かを傷つけるかもしれない、自分も傷つくかもしれない危険性を孕んだ行為なのではないかと考えています。
いくら、わたしが一般人で、ただの読み手だと名乗っても、「なに偉そうに、コレクションしてんだよ」という声も当たり前に飛んでくるし、「何をコレクションするかの矜持」も当たり前に問われ続けるでしょう。これに応えていく責任について、もっともっと考えてから始めるべきだったのではないかなと反省しています。
反省したからには、今後に活かしていきたいと思いますので、お付き合いしていただけたら嬉しいです。
なんだか、真面目に書いたら、長くなってしまった…(>_<)最後までお読みくださり、ありがとうございます。