渡米15年、ESLからスタートし、努力と忍耐で永住権を取得した香港人の話

Bさんが渡米したのは2002年。18歳、香港の高校を卒業してすぐでした。アメリカにはお母さんの兄弟姉妹が3家族住んでいて、彼女はロス在住の叔母さんの家からコミュニティーカレッジのESLに通い始めました。中級レベルから1年かけて上級レベルに進級し、翌2003年に州立の4年制大学に入学しました。順調に学士号を取得すると、さらに大学院に進学し、MBAを取得しました。そしてwork permit (労働許可証)を得て、2009年に中国系の会計事務所で働き始めました。
前回お話しした韓国人の友人は、ナース・プラクテイショナー(医師の代わりに一定の診療行為が行える資格を持つ看護師)という専門職だったので、修士号を取ると同時にグリーンカード(永住権)を与えられましたが、州立大学のMBA保持程度では労働許可証しかもらえないのです。アメリカの厳しい現実です。
彼女の職場はアメリカとは思えないブラックな所でした。会計監査の仕事をしていたのですが、毎日の残業は当たり前。期末監査の繁忙期になると、連日夜11時頃までの勤務。さらに、会計監査というのは事務所に居るよりはクライアントの会社に出向く仕事が多くて、カリフォルニア州を飛び回っていました。泊りのある飛行機移動はまだ楽な方で、車で3~4時間大渋滞のフリーウエイを走ってクタクタになりながら日帰りでクライアントの会社に通う、といった厳しい勤務もありました。
それでもフルタイム勤務だったので給与は多分日本の2倍以上もらっていたようで(具体的な金額は聞いていないのですが)、香港の両親に毎月送金する一方でせっせと頭金を貯めて、2017年にはロス郊外に4LDKの中古住宅を購入しました。リビングだけで20畳ぐらいある大きな家です。その前年には結婚もしたのですが、相手がバイト生活の頼りない日本人で、結局夫のほうが家事全般をこなす「主夫」となり、夫の稼ぎは当てにできず、相変わらずの重労働の毎日でした。
その相手とは私の息子なのですが、知り合ったのが2002年のESLクラス。息子の方は根性も忍耐もない情けない子で、3年ほどは労働許可証をもらって日本人経営の会社で働いていたのですが、夜間シフトのある職場で労働条件がきつ過ぎると音を上げて辞めてしまい、結婚当時はオンラインの英会話講師を細々とやっていました。そんな息子とよくぞ結婚してくれた、と今でもBさんには足を向けて寝られません。
息子についてはいずれお話しするとして、Bさんは「どんなに辛くてもグリーンカードを取得するまでは絶対会社を辞めない」と心に誓って9年間。2018年に遂にグリーンカードを取得。グリーンカードが取れそうだと分かった時点で職探しを始め、すぐに転職。今は極めてホワイトな職場で公務員として会計監査の仕事をしています。通勤は月・火曜日の2日間のみ。他の日は在宅で、しかも隔週で金曜日もお休みなので週休3日になります。超過勤務は無し。始業時間は6時半からと早いのですが、実質8時間労働、お昼休み30分なので、午後4時には仕事が終わります。通勤日は小一時間のドライブですが、それでも5時半頃までには帰宅し、息子の用意した夕食を食べながら、日本のアニメやドラマを楽しんでいます。彼女はアニメ・声優オタクで、1年で最も楽しみなのは夏に催されるアニメ・エキスポ。全4日間毎日通い、推しの声優と話せた、サインをもらったなどと喜んでいます。息子がBさんと結婚できたのも、アニメの知識が豊富だったから。何が生きていく上の助けになるか分からないものです。転職当時給料は3割減になったそうですが、ローンの焦げ付きもなく返済しながら生活できているので、満足しているようです。お金よりは時間の方が遥かに大切だと話しています。
5年後の2023年には市民権を得ました。そのおかげで、息子も今年永住権を取得し、漸くアメリカの会社でフルタイム職員として働き始めました。今度こそ長続きしてくれることを祈るばかりです。
因みに、お嫁さんはしっかりと一本筋の通った根性のある人ですが、本当に優しくて親切な人柄で、今回のロスでは3日間も私のために休みを取って、大谷選手の試合に付き合ってくれたり、ロスで最大のJ.ポール・ゲティ美術館とゲティ・ヴィラまで車で行ってくれました。バスと電車では片道3時間もかかるのですが、息子は車を持っていなくて、美術館にも興味がない。野球も「あんな長時間硬い椅子に座っていると頭痛がする」と言って付き合ってくれません。仕方なく一人寂しく観戦しようと考えていたところお嫁さんが同行してくれて、ゲームの流れを一緒に喜んだり怒ったり(ドジャーズがボロ負けの試合でした)。美術館の往復も、息子抜きで、息子の悪口を二人で言いながらの楽しいドライブでした。
ただ、息子を少し擁護するなら、自分の興味があることについては親切なのです。ゲティ美術館で、かつて観た『ゲティ家の身代金』という映画のことを思い出し、帰宅後動画を探して欲しいと頼むと、すぐにダウンロードしてくれました。字幕付きで。食事も、リクエストすればそれらしい味のものを何でも作ってくれます。クックパッドとかリュウジさんの『至高のレシピ』を見ながら。掃除も毎日せっせとしているので、ロス滞在中はすっかり家事から解放され、遊び暮らすことができました。家庭内でワークシェアリングが成立しているから、辛うじて結婚生活が保たれているのでしょうか。
ここで日本の若い人たちにちょっぴり教訓めいたことを言いますと、目標を立てたらその達成までは努力、辛抱が肝心です。同じESLの生徒として出発しながら忍耐と根性で市民権まで取得したお嫁さんと、仕事が辛いと辞めてしまい、今年妻のおかげでグリーンカードを取得するまで定職に就けず、アメリカから一歩も出ることのできなかった息子を比べれば一目瞭然。息子はたまたま興味と趣味の共通する相手に巡り合うという幸運のもとで、アメリカでの生活を続けることができました。さもなければスゴスゴと日本に戻り、何者にもなれなかった自分を責めて今頃は引きこもり生活をしているかもしれません。
「見聞を広めるため」「経験を積むため」1年間程度の短期間の留学をするのは、それはそれで有意義だと思いますが、アメリカ(あるいは他の外国)で永住権を取得したいと考えているならば、少なくとも10年ぐらいは逆境も覚悟して忍耐強く努力することが必要だと思います。英語が母国語話者並みになるにも、かなりの時間が必要です。息子の場合は、15年かかりました。それまでは私の方が英語力があったのですが、結婚した翌年ぐらいからすっかり追い抜かれてしまいました。奥さんと日常的に英語で話すようになったことも大きな要因だったかもしれません。前回お話しした韓国人の看護師の友人も、アメリカで暮らし始めて最初の数年は私の方が英語が上手でした。でもそれ以上進歩しない私に対して、彼女は仕事を通じて今では母国語話者に引けを取らないほどです。みんな、私の子供の年齢ですから、若さということも勿論語学上達に関係あるとは思いますが、やはり仕事をしながら経験を積むことが重要なのだと考えます。
そしてもう一つ。そんなに長期間辛い思いをするのは嫌だと思うかもしれませんが、前回の韓国人の友人も、今回の香港人のお嫁さんも、その苦労の末に、もうアクセク働く必要もなくゆったりとした豊かな時間を自分の好きなことに費やしているのです。お嫁さんはまだ40歳になったばかり。これからの長い人生を考えれば、日本のブラック企業で定年まで働き、年金生活者になれば若い人たちから「生産性がない」などと非難されながら、少ない年金で肩身の狭い思いをする生活とどちらがいいか。
もちろん、アメリカにも失業者やホームレスなど、貧しく恵まれない人たちもいます。でも努力すれば報われることを立証している人たちを私は他にも知っています。
次回は、そんな韓国系アメリカ人の話をしたいと思います。彼は2005年に息子のルームメートになりました。当時は航空写真を撮影する仕事をしていて、ルームシェアする程度の給料しかもらっていなかったのだと思います。仕事もそれほどやりがいのあるものではなかったようです。しかしその後、紆余曲折はありましたがアニメーターになるという夢を叶えて、今ではアナハイムに滝付きの大きなプールのある家で奥さんと子供2人と幸せな生活をしています。彼も努力の末に夢を叶えた一人です。



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