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花束みたいな恋をしてみたかったけど出来なかった人の感想note。

私は恋愛ドラマや映画はそんなに好きじゃない。

 好きじゃないと言うか、誰かと一緒に見るのが苦手なタイプだ。今一緒に見てる人がどう思ってるのかな?と考えてしまい、結局作品に集中できずに終わってしまう。

だから、このカテゴリの何かを見る時は必ず一人だし、自分の中で「何があっても大丈夫」と思って、心積もりをしていくのだ。


 最近、私の周りでは菅田将暉と有村架純の主演映画「花束みたいな恋をした」が話題を呼んでいた。試しに予告編を見てみたが、王道のハッピーエンドではなさそう。そして、なぜかちょっとした嫌な予感というか、変な不安が心を過った。

でも、大好きなドラマ「東京ラブストーリー」「カルテット」を作った脚本家 坂元裕二さんのオリジナルストーリーと知り、ちょっと興味が湧いてきた。Twitterでもいろんな感想が飛び交っていて、映画の余韻に浸り続けられると言う意見もあるではないか。ますます気になる。いつもなら恋愛映画を見るのに心積もりをする時間が必要だったけど、今日はファーストデイということもあり、チケットも割引になる。そこで、仕事を早めに切り上げて、この映画を見に行くことにした。

 私が映画館に到着した時、とある映画が終わった直後だったらしく、劇場から20代前半や学生たちが大量に出てきた。「へぇ〜えらい人気がある映画なんだな〜」と感心して、劇場入口横に掲示されていた映画のポスターを見ると、これから私が見る予定の「花束みたいな恋をした」だった。マジかよ。

 次の回の入場を待っている観客も高校生、大学生が多い。こんなところに35歳のおばさんが入ってしまってすいません。そんな恥ずかしい気持ちを紛らわすため、そしてこれから恋愛映画を見るための心積もりをするために、チュリトスを食べた。あぁ、安心のシナモン味。どうでもいいですね。はい。

 多分映画館で一番大きな劇場だったと思う。そこから約2時間、私は物語の主人公である麦と絹がいる東京という舞台に入り浸ることになる。


誰もが麦と絹になれる。

(ここからちょっとネタバレが含まれるかもしれませんので、嫌な方はそっと閉じてください)



2時間後、劇場を出た頃には

✔︎冷静に見ている自分
✔︎色々共感している自分
✔︎こんな恋愛がしたかったと思う自分

なんと3人も存在していた。

 とても個人的な話になるが、私は大学時代の貴重な4年間、ずっと同じ人と付き合っていた。私も彼も自宅通いだった。一人暮らしのあの独特の雰囲気を味わったこともなければ、終電を逃したことすらなかった。

 しかし、麦の家から朝帰りした日。絹の「まだ昨日の余韻に浸りたいの」と言う気持ちは痛いほど分かった。自宅通い特有である親の干渉から逃げるように、自室へ飛び込み、朝日が差し込む部屋のカーテンを閉め、そっとベッドに寝ころんだ時の有村架純の表情は絶妙だった。昨日の余韻に浸る時間だけは、誰にも邪魔されたくないのだ。わかるよ、絹ちゃん。

そして、この映画は何気ない風景描写が非常に美しい。

 学生時代、良い子で居続けた私にとって、麦と絹が暮らす世界を見ていると、正直羨ましかったりもした。麦の部屋に入り浸り、二人だけの世界を満喫する時間、荒れる就活、夢を追いかける姿、そして同棲という大きなターニングポイントの中で、移ろい行く四季が重なっていく。映画のポスターにも起用された河原を歩くシーン、同棲部屋で過ごす小さな幸せが詰まったシーンは、まるで優しい絵を見ているかのようだった。

しかし、個人的に最もグッと来たのは、ビール缶片手に夜道を歩くと言う何気ないシーンだった。オレンジの街灯がぼんやり光る夜道は、恋の物語が生まれやすい。昔、一人暮らしをしていた友達の恋バナを聞いて、羨ましく思っていたお手本のような恋愛の世界が、映画の中で広がっていた。ちなみにこの夜道を歩く時にきのこ帝国「クロノスタシス」の話題を入れてくるのは、非常に憎い演出だと思う(笑)


そして、ラスト30分は何度も心を抉られそうになった。

私自身、恋愛は「どちらかが悪者にならないと終わらない」と考えている。

 先に出てきた学生時代の彼とは、その後彼が就職を機に東京へ行き、1年間の遠距離恋愛を経て、突然終わりを迎えた。終わりを提案したのは、私の方からだった。「このままずっと続いても、何も変わらない。」と言ったのを今でも覚えている。しかも電話で、だ。

私は彼との話し合いで、綺麗な恋の終わり方が出来たとしても、それが美しい思い出になり、結局別れたことを後悔する瞬間が来るのではないか、と何故か恐れていた。だから、私が悪者になれば、この恋は躊躇なく上書き保存ができる気がした。身勝手かもしれないけど、そうして彼との5年の月日をスパッと切った。

 麦と絹がお互い別れようと思う時期も同じこと自体が奇跡に近い。あの頃、私が出来なかった「面と向かって話し合うこと」を二人はやろうとしていた。途中、麦からの提案で現状維持になりつつあったところに、あのシーンがやってくる。「始まりは、終わりの始まり」と言う言葉がズシっと重くのしかかる素晴らしい対比で、流石にちょっと泣いてしまった。


 映画が終わって、劇場を出た時ふと周りを見渡した。今自分の目の前に映っている、如何にもこれから麦と絹になりそうな彼ら、彼女、そして今麦と絹の二人のようなカップル同士で見に来ていた人たちは、この映画を見て果たしてどんな感想を持ったのだろうか。

 結婚して5年が経過し、恋愛の「れ」の字も忘れかけていた私も、麦や絹の気持ちを何度も経て、今がある。学生生活から社会に出て、いろんな人と出会い、学び、その度に喜んで、傷ついて、諦めて、またスタートさせて。でも、その様々な経験が、あの真っ直ぐに恋をしていた頃には、戻れないようにしている気がしてならない。

 誰もが麦や絹のような気持ちを一度は経験したことがある、もしくは現在そんな状況の真っ只中にいる人が多いから、この映画が支持されているんだと思う。高校生や中学生から見れば、この作品は単なる「5年付き合って別れた普通の恋愛映画」なのかもしれない。でも、この「普通」がここまで人の心に何かを問いかけるキーワードになるとは、思いもよらなかった。

恋愛映画が苦手だったり、見るのが不安だと思う人も是非見てほしい。


恋は尊くて、儚くて、清いものなんだということを感じてほしい。

 

 ちなみに映画館を見終えた後、街中にいるカップルが全員麦と絹に見えるし、映画の予告編や対談などの動画を漁りまくり、インスパイアソングであるAwesome City Club「勿忘草」をずっと聞いているのは私だけじゃ無いはず。


こうして余韻にずっと浸れると言うことは、私にとってとても良い映画だったのかなと思っている。

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