ここが変です日本の糖尿病治療:その7「1人3分診療で本当に治療できますか?」

前述で繰り返しますがランセットで糖尿病は少なくとも「500」ぐらいに分類出来ると考察されています。患者さんがどんなタイプなのかを正確に判断する必要があります。それには患者さんから「正確な情報」(薬をどの程度使用しているのか?→薬の残り具合、砂糖を含む甘いものを食べた量やお酒の量など)を把握する事が重要である事は当然ですね。また、糖尿病は「自覚症状」がないため「治療の自己中断」が多い病気です。私の経験では合併症の一番のリスクは「患者さんの自己中断もしくは健診を受けた事が無い事、健診で指摘されても受診されない事」と感じています。技術的な事は勿論必要ですが、「患者さんに信頼されること」が一番大事かも知れません。「あの先生なら甘いもの食べたと言っても怒られないだろう」「あの先生なら薬が余ってることを正直に話しても大丈夫だろう」「あの先生なら仕事が忙しいけれど受診しに行こう」と思われる医師である事が重要になります。いくら「技術」があっても患者さんが「正確な情報」を教えてくれなかったり、「来院」してくれなければ何の役にも立たない事があります。非科学的に聞こえるかも知れませんが方法論的には「医師の人間性」も重要と思われます。

「1人3分診療」では「診察室への呼び入れ」「挨拶」「血糖値の確認」「治療法の変更の必要性の有無確認」→無しなら「次回の予約をとる」「次回の検査をオーダーする」「処方を行う」ぐらいしか出来ません。「治療法の変更がある場合」にはおそらく「3分」はオーバーする事でしょう。病院側は「時間当たりにどれだけ多く患者数を診察出来るか」という経営的な視点で見ています。しかし、「本当に患者さんのため」「きちんとした診察」のためには「ゆっくり」診察する事が必要です。病院の存在意義は「きちんと患者さんを診察する事」です。「経営」を持ち出して本来の「存在意義」を無視した時、病院は「ただの金儲け」の機関と変わります。「診療報酬が低いため」公的病院も「経営」して来ています。公的病院の役割を思い出してもらいたいと思います。「医療」に「経営」を持ち込んだ場合、「医療の質」に関しては良いことは何もない印象です。医師にもいろいろ立場があるかも知れませんが「患者さんのため」が最優先でなくなる時「医師」の存在意義は非常に薄れてしまうことを忘れていけません。

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