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実家じまい 私の場合

私の父は東北地方の8代か9代目の農家の長男でした。
私が生まれて間もない時に父は祖父に勘当されて上京しました。次男は北海道で就職して結婚・婿養子に、妹は関西で結婚しました。
戦前にはありがちで祖父は外に女の人をつくり、祖母は双子を産み産後の肥立ちが悪く亡くなりました。そして祖父は女の人を後妻に迎え双子の世話をさせました。次男・私の叔父は実母への想いが強く、母を想う気持ちは当たり前のことですが、後妻を恨んでいました。

祖父母が亡くなると父の実家は誰も住む人がなく、父母が年に数回帰省し墓参りや掃除をしていました。上京して定年まで仕事をした父が東北に戻り農家をする事困難でした。父は専門職でしたので定年が75歳でしたので75過ぎて農家をやるのは難しいのは理解できる事だと思うのですが‥

父が東北に戻り農家を継がないことを、叔父は不満に思っていました。
祖父の7回忌の時も(後妻の祖母は施設入所していました)叔父は実母は気の毒で後妻の祖母を貶めることを話していました。
亡くなる前、病床の祖父の世話をしたのは後妻の祖母で子供たちは任せきりだったのですから、感謝しても良いと私は思うのですが‥
もちろん実の祖母を切なく思いますが、戦前の東北で貧困から女の子が売られそんな環境下にあった後妻の祖母も気の毒に思います。
そして当時、社会福祉の大学で学んでいた私は叔父に東北の貧困論を滔々と語ったのでした。だから、叔父にとって私は生意気で苦手な姪なのです。

父が生前から叔父は「実家をどうするのだ」とか「誰が継ぐんだ」私の母を責めていました。父は退職後すぐに認知症を発症したので、母を責めるのです。
また父の認知症後期には「なんで、そんなになるまで放っておいたのだ」と。
発症から15年も経てば受診し、いくらアリセプトを服用しても病気は進むのです。放っておいてなんかいないのですが‥

父が亡くなり東北の実家を私が相続しました。祖父が亡くなった時にどのような話し合いがなされたのか私にはわかりませんが、昔風に長男がと父が実家を継いだのだと思います。父の相続が発生した時点では叔父と叔母は父の財産の相続権はないので一旦は父から私が相続し、叔父と叔母に相続の意思があれば譲る旨の連絡をしました。
叔母からは相続の意思はない連絡がありましたが、叔父からは返信はありませんでした。

父の3回忌がすみ、百年以上前に建てた実家を売ることにしました。
古民家なんてカッコの良いものではないのですが、曲がり屋で囲炉裏のある家です。先祖には申し訳なく思いますが、首都圏に住む私にはとても管理できませんし農家はできません。

リフォーム代が市の補助金の対象になる事と不動産屋さんの努力で買主さんが見つかりました。
むか~しの古い家でなんせ百年以上前に建てた家ですから、母屋から離れたとこにトイレがあり便所登記が亡くなった親戚になっていたり、めちゃくちゃでした。不動産登記代と測量代・家財の処分代で不動産の売金はほとんど無くなりました(笑)                 売れただけ、ラッキーなんです。
また仏壇の処分、魂抜き、神棚のお焚き上げ、魂抜きなどなどお金は飛んでいきました。

想いのある実家に訪れる機会をと売却前に叔父と叔母には連絡しました。
叔母は最後に帰省しましたが、叔父からは連絡なく「本家に断りもなしに家を売った」と他の親戚に電話をかけられまくりました。

今時、本家か 「はて?」




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