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怒るおなごが怖くて。

バレーの中継を観ながら時々エアーで真似してみてる。ジャンプサーブ。
ジャンプして、弓形に反って、ボールをバシンと叩くのが本当にかっこいい。
ほぼバレー未経験の自分に出来るわけがないのに、何度も部屋の中で飛んでみてる。
今のところ、想像の中では自分にも出来ている。
きっと鏡の前で見ると愕然とするような低いジャンプなんだろうけど、イメージだけは完璧。

連日、AM3時ごろから男子バレー中継を観戦してる。早起きはつらく、時折ぼーっとしながらもなんとか応援してる。今日も楽しみ。

最近、TVで試合を観ていて、バレーをしてみたいと思うようになった。
バレーというか、とにかく高くジャンプしたり、サーブしたりしてみたい。
もちろん中学高校の体育の授業で何度も試合をさせられたことはあるけど、楽しめたことは一度もない。

なぜなら、私はギャルに怯えていたから。
その頃の自分にとって"ギャル"とは、
「怒りを周りにわかるように表出できる女子」のことだった。
クラスの中でも大きい声で笑ったり、怒ったり、泣いたり、喜怒哀楽をわかりやすく表出するおなごに関しては、自分の中で"ギャル"と呼んでいた。(偏見がひどかったらすみません)
子どもの時分は今よりも怒りの域値が格段に高かったため、イラついた感情を周りに発信する人の気持ちが理解できず、本当に彼らのことが怖かった。

そして彼らは、おしなべて勝ち負けを重要視する傾向にあった。
「負けず嫌い」って成長発達において大事なことだと思う。悔しい気持ちは成長に繋がる。
しかし私は幼少期から負けん気が無かった。(親から心配されるほどに。)
そんな彼らの前では常に緊張してしまい、運動が苦手な私に体育を楽しめた記憶はない。

アンダーでのサーブで相手コートにボールを入れるので精一杯のなくせに、フローターサーブなんてものに挑戦しようものなら"ギャルズ"から睨まれるのではないか。
ザコはアンパイにやっとけ足を引っ張るな、なんて思われるのではないか。
後ろで笑い声が聞こえるあれは自分の陰口を言われているのではないか。
と、
陰の要素の強い自分は自意識過剰な妄想をとめど無く繰り広げていた。いわゆる陰キャでした。

そんなわけで特にチーム戦の時間は終始怯えており、楽しむことができていなかった。
あの授業時間は本当に酷だった。

体育の先生に言いたい。
性格分析をして、
「怒る子がいても耐えられるチーム」と、
「怒る子がいないチーム」に分けて体育して欲しい。そしたら平和に、楽しく、もっとスポーツの楽しさを学べていたと思う。

きっとこの感覚は、こちら側の人間にしか理解し得ないんだろうと思う。


大人になり、"怖いおなご"とチームを組まなくてよい今、波長の合う者同士でいろんなことを試しながらのんびりとスポーツを楽しみたい。
失敗が許される環境で、いろんなスポーツのいろんな技にチャレンジしてみたい。

なので私は今日も飛ぶ。部屋の中でどっすんどっすんと。




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