東京国立博物館:やまと絵をみに行く
やまと絵を見に行こう、
そう思ったのは、
ポスターの雰囲気に惹かれたからだと思う。
その賑やかしくて楽しそうな雰囲気を
実際に眺めてみたいと思った。
さらに、金曜の夜に、
20時まで開館している!と気づいて、
上野を通りかかるついでに途中でよってみようか。
そんな軽い気持ちだった。
だから展示会の重さと比較して、
心構えはできていなかったと思う。
会場についてから国宝や重要文化財が
ざくざくと展示されているその豪華な内容に驚いた。
鳥獣戯画が見れて大満足している私には
いわば、消化不良だったとも言える。
何度も行きたくなる、そんな表現がぴったりだと思う。
そして、期間中作品は入れ替わるので、
そう思った人も多いんじゃないだろうか。
やまと絵ってなんですか、
私は、そんなところから始まっていた。
そんな人にも展示はやさしい。
唐絵とやまと絵の違いから始まり、
どのように変化していったかなどが
わかるように展示されている。
見どころがわからない私にも、楽しめた。
さらにきっと作品の持つ力なのだろう、
何か、わからなけれど、
伝わってくるものがあったように思う。
私は、絵巻の中の物語の中に入った気持ちになって、
その風景や気持ちを想像していた。
体の使い方や表情の豊かさ。
今の日常とは感覚が違うんだんだろうな。
着物着ている時は、右足と右手を一緒に出すんだっけ。
エアコンなしの、デジタルデトックスの世界で、
季節や、楽しみをどう作っていたんだろう。
そんなことを思いながらみていくと
想像がどんどん広がっていって楽しい。
さらに、この絵は、村上隆さんだったら、
きっとこんなポップな感じにと想像してみたり、
デジタルデトックス世界で、
140字でつぶやけ、とか言われたら、やっぱり困るから、
5、7、5くらい数えられる数にしてほしい。
そう思ってみたり。
いや、今だったら、5 、7、5でつぶやいて、
その情景をAIで絵にしてもらったら楽しいんじゃないか。
とか、大変どうでもいいことを考えながら見ていた。
これを読んだ人はきっと、
この文章がどこに行き着くかわからず、
???? そんな気持ちになっていると思う。
見ているものと、
私の脳内のギャップを感じつつ。
みんな何を思いながら見ているのだろう。
聞いてみたいことしかり。
なんか、よくわからないが、
インスピレーションはすごく受けている。
それだけは確かだった。
それは、今と昔、時代が違っても、
日本の風土の中で培われたものに
どこかに共鳴するものが存在しているかもしれない。
やまと絵の時代の先に私たちがいる。
この展示会、単眼鏡のようなものを持っている人が結構いて、
私は、とても羨ましかった。確かに、これはよーくみてみたい。
どんな風に見えているんだろう。
準備を整えて、やまと絵って結局どんなものだろう、
そう、思ってみた方には、実際に体感してほしい。
そう思った展示会。
それでも展示は、私のような人にもわかるよう、
やまと絵にわかるよう
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