【noteお題応募】そういえば、同棲時代に。
もう36年も昔の話になる。
昭和59年、おいらは大学1年で、実家の横浜を離れて青森の弘前という街で暮らしていた。半年ばかり一人暮らしを続けて、10月に同居人ができた。
彼女は同じ学科の子で、雪の降る入学式で席が隣になり、退屈な学長の祝辞に飽きて、何となく声をかけ仲良くなった。クスクス笑いながらこちらを見た顔にドキドキした。黒縁の眼鏡をかけた菊池桃子がそこにいたからだった。オリエンテーションの後に飲みへ誘い、それで酔いつぶれた彼女をおぶって帰り、何となく付き合い出すことになった。
彼女の部屋は大学を挟んで反対側の地区にあり、双方チャリ通圏内ではあったのだけれど、だんだんお互いの部屋に行って大学を通り帰る、が面倒になっていった。なので、講義が終わると学食で会い、たまに弘前の駅前へ行って飯を食ったり酒を飲んだり、という感じになって、あまりお互いの部屋を行き来することはなくなっていった。
前期試験が終わり、彼女が実家のある八戸に帰省するのと同時に、おいらは青森に事務所があったタウン誌の編集部でライターの修行を始めることになった。携帯などなかった時代なので、これで一気に彼女との付き合いが疎遠になってしまったのだ。
夏が過ぎ、秋休みも終わって、後期の授業が始まるからと大学へ行った。
そこで久しぶりに彼女に会い、以前のように学食で話し込み、大学のそばにある居酒屋で飲んだ。入学式の夜と同様に彼女は酔いつぶれ、付き合い始めるきっかけになった時と同じように、おいらの部屋でいびきをかいて寝た。
朝、目が覚めると彼女がキッチンで食事を作っていた。起き上がり、テーブルの上を見ると、おいらの原稿が掲載されていたタウン誌が置かれていた。
「おはようタダノくん」
おいらのトレーナーを着た彼女が炒め物をしながらこちらへ振り返った。
「朝ごはんすぐにできるから、顔を洗って待ってて」
おいらが言われた通り洗面台へ向かい、ヒゲを剃って顔を洗うと、テーブルの上にオムレツとトースト、それにコンソメスープが並んでいた。バターの溶ける香りで、急に腹が減ってきた。
「冷蔵庫のもの、勝手に使いました。でもさ、台所はお勝手とも言うでしょ?」
「言うね」
「だから、勝手にごはん作ってもいいかな、って思って」
「うん」
「不味くないと思うから、食べて欲しいな。それで・・・」
「?」
「私にも冷蔵庫の中のもの、恵んで欲しいの。お腹すいちゃって」
おいらは笑った。
「いいよ、一緒に食べようよ」
ドゥービー・ブラザースのLPをかけ、テーブルに戻って朝食に手をつけようとすると、彼女が
「あ、ちょっと待って」
と言った。
そして、冷蔵庫から缶ビールを両手に1づつ取り出してきた。
「その本、読んだよ」
「ん?」
「タダノくんの名前があった。アルバイトって、この本を作る仕事なんだね」
缶ビールを受け取りながら、おいらは頷いた。
「なんかすごいね、私も嬉しくなっちゃった。だから、乾杯しよ」
「乾杯?」
「うん、乾杯。早く、早く」
彼女は飲み口を開けて缶ビールをかざした。おいらも彼女に続いた。
「じゃ、かんぱーい!」
「か、乾杯!って、何に乾杯するんだ?」
ガツン、という感じでおいらの缶ビールに自分のそれをぶつけ、ごきゅごきゅと飲み始めた彼女に尋ねた。
「え?うーん、えーっと、何にしようかなぁ」
「へ?」
ごきゅごきゅ・・・。
「あ、そうだ、アオムラユキコの住所が変わる記念にしよ!」
「はい?」
「今日から一緒にここで暮らすから!乾杯!」
「は?」
「それから、タダノくんの本に乾杯!名前載ってて乾杯!」
「・・・お、おう」
「あと、私の家具を送ってくれる運送屋さんに乾杯!」
「・・・?」
「住民票の書き換えをしてくれる弘前市役所にも乾杯!」
「・・・本気?」
「アオムラユキコをお願いします、に乾杯!一生懸命、料理作りますに乾杯!洗濯、掃除もがんばりますに乾杯!」
「・・・」
ごきゅごきゅ、ぷはー、ごきゅごきゅ、ぷはー、がたがた(缶ビールを冷蔵庫から取り出す音)、ぷしゅ、ごきゅごきゅ・・・。
彼女は結局、また酔いつぶれておいらのベッドへ戻ってしまい、おいらはちびちびとビールを飲みながらオムレツを食べた。朝の7時にw
後期2日目の授業をいきなり休んだ彼女は、その後、本当に家具をおいらの部屋へ持ち込んで、一緒に暮らし始めてしまった。
同棲生活は翌年の2月に、やっぱり突然終わりを迎えたのだけれど、あんな風に乾杯を利用して一緒に暮らそうと言い出されたことは、後にも先にもあれっきりだ。でも、まぁ、悪い思い出ではない、かな?