やったことない事をやってみよう。その3【身体に優しくなりたい】

2019年9月1日15時。雲の隙間から差し込む光は9月と聞くだけで幾許か和らいで感じる。蝉の鳴き声も少なくなり、湿気を伴う気候も合わさって秋の気配を感じさせた。今年も残り4か月だと思うと、何だか寂しい。秋は寂しさの入口で、冬になれば本格的に人恋しくなるのだろう。毎年同じような事を愚痴にしてはいるが、例年に比べ焦りがない。早く気持ちを転換させなければとは焦るが、まだ時間は掛かりそうだ。

最近「まだ若いんだから」という窘めの言葉よりも、「もう三十路なんだから」と言われる事が多くなった。20代は何をしても許され、30代に入ると責任と品格をより一層背負い、また求められるのだと感じる。30歳に両脚首を突っ込んでいる私は、なんだか以前よりも疲れが取れなくなった。徹夜で何かをするという事は正直もう出来ない。遊びたい気力はあるのだが、身体が付いていかないのだ。深夜に本を読めば寝落ちをするし、携帯の動画は開きっぱなし、エアコンも付けっぱなしで朝を迎えることも多く、寝ても疲労が蓄積している。

昔は「あー肩こっちゃってさー」なんてのは自分努力してますよアピールだったし、「俺今日寝てないんすよ」は遊んでますよアピールだった。恐らく人とは違う、という自己顕示欲の言葉だったのだと思う。実際に無茶もした気がする。だが30歳目前になると「肩こっちゃってさ」は深刻な悩みであり、早期に解決したいが故のSOSとして発せられる言葉となった。「寝てないんすよ」は本格的な体調不良を表す言葉となった。加齢は発せられる言葉の意味を変化させる。身体に優しくなりたいなぁ。という事で


まさに今し方「肩こっちゃって寝てないんすよ」状態だった私が、初めてお店でマッサージを受けてみた話。


身だしなみを整える為に、月に一度は美容院を訪れる。対して伸びていない髪の毛を、馴染みの美容師は何も言わずに前回と同じように揃え、洗髪をし、簡単なマッサージまで行ってくれる。至れり尽くせりという感じだが、簡単なマッサージに僅かに不満を感じていた。施術の時間がとても短いのだ。そりゃあ美容院なので中途半端で当然だろうと思うところはあるのだが、マッサージの導入部のようなあたりで施術を止められてしまうと些か欲求不満に感じた。今日はその欲求不満が強かった。30歳なんてマッサージなんて受けるような年じゃないでしょ、とつい最近まで考えていたが、日に日に増す体調不良とマッサージに対する欲求不満は、私の固定概念を覆すには充分であった。美容院を去った後、道端で「〇〇市 マッサージ 最強 男性」と検索した。そういう目的はないのだがピンク系のお店がちらほらとHitしてしまい、慌てて男性というキーワードを削除した。


国家資格を持つ施術師が在籍するマッサージ店は全国に約2万点あるそうだ。リラックスを目的とし、資格を持たない施術師が接客する所謂チェーンのマッサージ店も合わせると、その数はコンビニよりも多いらしい。今回訪れたのは整体や骨盤矯正を売りとしたチェーン店だった。初めての、しかも飛び込みのマッサージ体験なので「まぁ近くだしここでいいか」というなんとなくなチョイスだった。

店は駅前の古ぼけ雑多としたビルの3階にあった。外観とは違い店内は綺麗で静かだった。予約なしの新規客に、受付の女性は親切に対応してくれた。ざっと見渡すと数人が施術されている様子が伺えた。皆々マッサージベッドにうつ伏せになり、顔は見えないが腕のだらっとした感じからリラックスしているであろうという雰囲気を感じさせた。何分コースになさいますか?と聞かれたので、店内POPにあった店長お勧めの肩中心とした60分コースでお願いした。3,120円だった。施術まで1時間ほど待ってほしいと言われたので、予約をし近くのカフェで時間を潰した。


1時間後訪れると、店内はがらんとしていた。丁度隙間の時間だったのだろう。受付では施術をします、と店長からの挨拶があった。店長は細めのご婦人のようで、イントネーションから中国系の方だろうと推測出来た。並べられたマッサージベッドの1つに座るよう促され病院にある個別のカーテンのようなものをシャッと閉められ、「ヌイデクダサイ」と唐突に言われた。

「おやおや、私はそんなピンク系のお店に来た覚えはないですぞ」と戸惑ってしまったが、ただ単に施術時の服に着替えてほしいとの事だった。無地の黒色のシャツと半パンを渡されると、店長は「ヌイダラコエカケテネ」と急にフレンドリーな感じでカーテンの外に出た。距離の詰め方が急すぎてまた戸惑ってしまったが、大人しく着替え声を掛けた。


施術が始まった。うつ伏せになりベッドにある穴に顔を突っ込んだ。慣れた手つきで身体を触り、「肩コッテマスネ」と店長は笑って呟いた。そうでしょう!施術冥利に尽きるでしょう!と自慢げに鼻笛を吹いたその刹那、激痛が走った。店長は肘骨で肩甲骨のあたりをゴリゴリと押した。これがとんでもなく痛かった。「ソウトウコッテマスネ。ヒドイデスヨ」と店長が言った。私は「グギギギギ」と声を漏らした。店長は構わず肩甲骨を押しまくり、背骨横の筋肉を肘骨でゴリゴリと押した。私は薄らと涙目になった。兎に角痛い。痛いのだ。決して施術が下手なのではない。私の身体が体験したことのない解しに悲鳴を上げているのだ。私は「あがががが」と声を漏らした。

イタイデスカ?ヨワクシマスカ?」と店長は言った。「いえ、全然痛くないです。そのまま続けてください」と返した。強がりだった。弱くしてくださいお願いしますなんて言うと、負けた気がするからだ。店長は笑い、更に強く筋肉を押した。悪魔か。私の強がりは無残にも店長によって打ち砕かれ、私は「ぐぎぃ」や「んごぅぉ」など声にならない悲鳴を上げ続けた。施術はまだまだ続く。始まってまだ5分も経っていない。今になって思う事だが、店内の様子が伺えた際に皆々がリラックスしているように見えたあの光景。腕がだらんとし、気配が感じられなかった。多分全員意識が飛んでいたのだと思う。私はひたすら無心になり、意識を飛ばした。肩、背中、腰回りと店長の容赦ない攻撃は続き、声を出す余裕すらなくなった。


長かった1時間が終わった。終わり際、初めて施術する人は痛くなることが多いよ、と店長が笑って言った。それは始める前に言ってほしかったなぁと思ったが、肩や腰が軽くなっていたので言わなかった。適度に発汗し、身体はポカポカとしていた。心も何だか軽くなった気がする。肩こりや腰痛はぶり返しというものがあるらしく、定期的にメンテナンスに通うように、と店長はまた笑って言った。色々痛かったけどまぁ楽になったしそれもいいね、と再訪の予約を行い店を後にした。


マッサージは自分には必要のないものと考えていたが、経験してみると思った以上に身体の不調は深刻で、マッサージはその解決策である事がわかった。また今回施術を体験した事で、施術師の方々の大変さも感じることが出来た。60分ほぼノンストップで施術し、「んぎゃぁ」だの「あぎゃががが」だの言う客を心配し続けなければならない。接客業の中でも大変な部類だと思う。少しでも身体を楽にしてあげよう、というその思いやりが、精神的な疲れをも取り除く1つの要因になるのかなー?なんて思いつつ私はPCの前に座りテキストを打ち込んでいる。また近々伺うことになりそうだ。

やったことない事をやる人間です