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超絶文系脳が医学部に合格して医者になるまで②幼少期編

こんにちは。国公立医学部医学科に通うmomoです。
今回は、幼少期に受けた教育で良かったと思うものについてお伝えします。
教育に悩む親御さんのお役に立てたら嬉しいです。



家族構成

医学部に受かる子の両親なんて、どうせ医者なんでしょ~?と思っているみなさま。全く間違ってはいません。体感ですが周りの医学生の半分くらいは両親が医師です。(完全に当社調べなのであまり真に受けないでください。)
しかしながら!私の家族に医師などおりません!

母:自営業(カフェ)
父:介護系
母方祖父母:大学教授(英語)
父方祖父母:自営業(旅館)

おそらく何代遡っても医師はいませんし、家族全員ゴリゴリの文系です。ご安心ください。それでも私は現役で医学部に合格できました。

家族の中で主に教育担当だったのは父です。母は我関せず、という態度でした。この点は大変バランスがとれていて良かったように思います。

小学校までにやってきたこと

小学校まで、と言いますか、幼稚園の頃の記憶などほとんどありませんので小学校の間にやっていたことが大部分を占めます。

チャレンジ○年生

これを小学校1年生から5年生まで続けました。何かしらのポイントと交換できるグッズに釣られ、それなりに真面目にやっていた気がします。
だがしかし、ここで注意しておきたいのは、私には同じ教材を与えられていた弟がいたという点です。そしてその弟は一切チャレンジに興味を示さず、2年生あたりで解約しました。
私と弟は年子で、大方同じ育て方をされてきました。ここでこの継続力の違い。これを「個人差」と呼びます。したがって、こどもにチャレンジを与えておけば勝手にやって勝手に頭が良くなるというのは完全な幻想です。放っておいてもやってくれる子はやるし、やらない子はどれだけ言ってもやりません。
私はと言えば、ある程度授業の予習としてこれを活用したため、学校内でもそれなりに頭の良い方という立ち位置でした。自主的に机に向かう習慣をつけられたのも良かったと思います。

新聞の書き写し

私の家では朝日こども新聞(週一回)を購読しており、届く度にその天声人語欄を書き写すことを命じられていました。それはそれは嫌で、ボイコットをしようと思った時期もあったと記憶しています。しかしそれは面倒くさかったのでしょう。完璧主義な私は1文字1文字に魂を込めて書き写しました。
またまた弟が登場しますが、彼はこれも全くやっていませんでした。「やった?」と聞かれたら「うん」と答えるものの、ノートを開くと何も書いていない。そういう人もいます。私がたまたまやれるタイプだっただけです。
私は今となってはこの書き写し、とても良かったと思っています。まず漢字を覚えられる。そして文章を読むこと、書くことに慣れられる。少し難しめの言い回し(敬語表現等)に触れられる。これらの点で十分にやる価値があるでしょう。
朝日こども新聞は現在のところ月2100円で購読できるようです。新聞を読むことそれ自体にも大きな意味があると思います。時事を知るだけでなく国語力の向上が期待できます。お悩みならばぜひ。(朝日新聞のPRではありません。大学生になった現在、新聞とは全く縁のない生活をしています。)

日曜日には本を読む

毎週日曜日には本を1時間読むというルールが存在していました。父が言うにはこれさえやればゲームでもなんでもし放題だったんだから楽だろう、とのことですが、正直めちゃめちゃ嫌だった!
怒られるのが嫌だったのでちゃんとやりましたけどね。
確か読む本には指定があったような気がします。父に与えられたものを読んでいました。
・長くつ下のピッピ
・ガンバとかわうその冒険
くらいしか思い出せませんでしたが、ほとんどが岩波少年文庫だった気がします。
言わずもがな、幼少期の読書習慣は国語力に直結します。無理やりにでも本を読んでいたおかげで本への抵抗がなくなり、今でもどちらかと言うと読書好きなタイプです。

本に囲まれた空間

ソースを持ってくるのは面倒なので気になる方は調べていただきたいのですが、文部科学省の調査で家にある本の数と学力には相関があることがわかっています。
そして私の家ですが、本だらけでした。父も母も読書好きで、父は本棚錬成(DIY)が得意でしたからもうどこもかしこも本。本棚。トイレにも。
ご両親がたくさん読んでいる必要は必ずしもないということなので、もしお子様に本を見近に感じてほしい方がいらっしゃいましたら本棚をたくさん置いてみることをおすすめします。
そして、父は本を望んだ時は確実に買ってくれました。おもちゃを所望した場合には「検討します」と返ってくるのですが、本なら即決です。「欲しいけど、読む確約はできない」と言っても、「本は積んでおくことに意味がある!」と買ってくれます。

新聞にしろ本にしろ、文章を読むことを父は重視していたのかもしれません。そしてここで得た国語力は他の科目にも生きてきます。母国語は思考の手段そのものですから、鍛えることには大きな大きな意義があるのです。

中学受験

小学5年生終わりかけの2月、突然塾に入れられることになりました。2回ほど受けた全統小学生模試?の成績や小学校での成績がそれなりに良かったこと、近所に都立の中高一貫校があることから父が受験を決めたようです。
それそれは嫌がりました。泣いて嫌がりました。小学校の友達と同じ地元の中学校に行くのだと大声で主張しました。が、塾に入ってしまった以上勉強せざるをえません。流れに乗せられ、必死で勉強するうちに夏の合宿で1位をとるほどの成長を見せました。(塾に入って最初のテストの偏差値は40くらいでした。)
無事志望校に合格し、そこで6年間の青春を過ごすことになりますが、今となっては本当に受けて良かったと思います。思えば私は小学生の頃から医師になりたかったのですが、そこまでの進路を何も考えていませんでした。中高一貫校に挑戦する方が地元の中学校に入るよりも確実に医学部へのステップとして適切だったと今は思います。親に感謝です。

まとめ

私の父が育ててくれたのは、主に私の国語力でした。追加でチャレンジによる全科目の基礎的な力です。とにかく国語力が全てです。中学校に入れば英語の授業が始まるわけですが、この習得も母国語のレベルが影響していると確信しています。大学受験の共通テストの際も、現代文は読むスピードがレベチでした。
ここで強調しておきたいことがあります。
全ての教育の成果には個人差があるということです。それも、先天的に決定されている要素が確実にあります。それは同じように育てられたはずの私と弟で課題への取り組みが全く異なったことからも容易にわかります。だからこそ、それぞれにあった教育をすることが必要ですし、教育で全てがどうにかなると思ってはいけません。素質次第になってくることも往々にしてあります。
どうかお子様に「理想の教育」を押し付けないようにしてください。

父の手探りだったと思われるこの教育法、もしどなたかの参考になれば幸いです。

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