HSPなもみの話、はじまります
皆さま初めまして^^
ヨガインストラクターの籾山理美です。
ちょっと珍しいのですが もみやま りみ と読むのでレッスンのときはMomiと呼んで頂いています。
これからnoteに載せていきたいなぁと思っているのは、HSPの私の話です。
HSPというのは、いわゆる繊細な感性を持つ人の、その気質をさすものですが、ここでは詳しい説明は省こうかと思います。
きっとすでにその言葉の意味を知っているか、
もしくはご自身がHSPとしての気質を認識し、今この文章に目を通してくださっていると思うからです。
(もし違うよーという方はHSPで検索!)
HSPという言葉が馴染みある言葉になったのは本当にここ数年の話ですよね。繊細な気質にその名があると知り、救われた方は少なくないはずです。
私ももちろんそのひとりです。
それまで、私は自分のことを可哀そうなひとだと思っていました。
どうやら、他の人とは感覚が違うということには薄々気付いていました。人の見えなくていい言動が見えてしまったり、負の感情が自分の中にすぐ入りこんだり…場所や環境を変えてどれだけ時間が経とうとも、「生きづらい」と感じてしまうのです。
自分を客観視したときに可哀そうと感じたのは、他の人と同じように上手に生きようとして、〈みんなと同じ〉という海で溺れていたからです。
泳げないことを認められず、皆と同じように泳ごうとあがき続けていました。
そんな風に思っていたのは、周りと比べて自分に足りないことが多いと感じていたからだと思います。生きているほとんどの時間はそんな風に思っていたので、必然的に自己肯定感の低い人間となっていました。
いくつかの心身症を患い、これが人生の底辺だと感じたときがありました。
自分の体なのにさっぱり言うことを聞いてくれず、心と体が離れ離れになっているような感覚でした。
でも本当は泳げなくてもよかったんです。
みんなと同じじゃなくて。
浮き輪を持っていてもよかったし、誰かに助けを求めてもよかった。
そもそも海から出て砂浜にあがってもよかった。どちらかというと私は砂浜でのんびりする方が性に合っていました。
そのことに気付いてからようやく私は自分らしく生きるという意味を知りました。ずっと知っていたつもりでいただけでした。
そしてそこに行きつくまで、沢山の人や物事との出会いがありました。今は生業となっているヨガやアロマもそのひとつです。
自分を認めるとか、愛するとか、そんなの到底できないと思っていた私ですが(だって中身がからっぽでどこを愛せばいいか分からなかったから)
自分のことをようやくその対象とし、本当の意味で自分を大切にする、ということができています。
今もしもあなたが海の真ん中にいて、泳ぐのに疲れているのなら、どうか決めつけないで欲しい。
泳ぎ続けなくてもいいし、今は見えなくても岸は必ずある。
私が見たもの、そしてここに記す言葉が、あなたらしく生きることが出来る、そんな手助けとなりますように。
籾山理美 / instagram