切符で学んだ時代の流れ~入場券編~
大動脈解離で療養中のmominです。押入れを整理していたら,思い出の品が出てきたので紹介します。
駅の切符です。主に国鉄,JRのものです。今回は入場券についてお話します。
まだ学生だった頃,そうです,昭和時代です。住んでいたところが貨車の操車場の近く,そして東北本線が通っていたところでしたので,昼夜を問わず電車や列車の汽笛,走行音が町の賑わいのように鳴り響いていました。
蒸気機関車は夜中も短い汽笛を控えめに鳴らして,貨車の入れ替えをしていました。青函連絡船やタグボートの汽笛が聞こえると,夜でも時刻がわかるんです。もうお分かりですね。舞台は青森市です。
そんな環境でしたので,子どものころから鉄道が好きでした。でも親一人子一人の貧しい家庭でしたので,列車でお出かけなんて滅多にできませんでした。
そこで,バイトをしながらおこづかいをためたり,母に少し手伝ってもらったりしながら旅行代をためて,高校時代に一人旅をしたのです。
マニア的な知識はいまだに持ち合わせていません。ただ列車に揺られるのが好きな私。旅の土産と言ってもお金がないので買えません。そこで気づいたのが駅の入場券。安い!いった証拠になる!土産にもなる!
たまりにたまり,現在40種(ぐらい?)があります。中には廃線で駅がなくなったものも…。
私が持っている入場券で一番古いものといえば昭和49年のものです。しかしそのころには大きな駅で自動券売機が登場していました。
一概に券売機は同じものとは言い切れないようです。年数がたつにつれ,インキが消えてしまうものがあることがわかりました。
それだけではありません。大きな駅の券売機には,白地に印字しているだけのものまであるんです。
でも,券売機での切符の下地模様は,どの券売機でも色あせはあまり見られません。ひらがなで「こくてつ」,アルファベッドの「JNR」が令和の今でもしっかり読み取れるようになっています。
また,小さな駅では硬券の入場券がしばらく販売されていたのと同時に,乗車券を兼ねていたものも多かったようです。
硬く小さい券から薄く券売機で発売されるようになった入場券の変化を振り返ると,高度経済成長の中で,輸送量が多くなったことを思い浮かべています。首都圏を中心に効率的な輸送のために自動化の波が地方に向けて押し寄せていたことを改めて感じています。
私のようなノスタルジーを感じている人間にとっては,短命で役割を終える入場券1枚でさえも,このような複数の顔があることに,鉄道に従事している人や支えている人の息づかいや深い配慮が感じられることが喜びなのです。ほかの乗車券と同じように駅員さんが日付を一枚ずつ印刷機?で印刷して手渡ししてくれるのですから。
そこで,その息づかいや配慮がもっと感じられる乗車券について,次回紹介したいと思います。
早く体を整えて,旅に出たいものですが,30分が限度の私。いつのことになるのやら…
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