切符で学んだ時代の流れ 4 ~青函連絡船編~
大動脈解離で療養中のmominです。押入れを整理していたら,思い出の品が出てきたので紹介します。
駅の切符です。主に国鉄,JRのものです。今回は青函連絡船についてお話します。
昭和50年代ではグリーン券が硬券だったので,おそらく青森~函館間の乗車券もそうだと思います。ちなみに,私はグリーン自由席を愛用していました(貧乏学生のくせに!)。
当時の連絡船は,大きい船(十和田丸や八甲田丸)と比較的小さい船(羊蹄丸や摩周丸など)が運航されていました。上野からの最終便の接続で,0時30分発の便によく乗船した記憶があります。
その頃は,耳が悪く,ちょっとした揺れでも酔ってしまう体質の私。ですから,その体調に合わせて,船内でグリーン券を買うのでした。
のちのグリーン券は,船内でも薄い紙になりました。それでも日付が手書きであったことがうれしく思っていました。
連絡船の船室って,座席のほかに今でいうカーペット席のようなところがあって,そこで横になってひと眠りできるようになっていました。なんとグリーン自由席にもあったんです。
昼の便の普通自由席はにぎやかです。リンゴの行商のおばちゃんたちがリンゴを剥きながら談笑する姿があったり,小さい子がはしゃいで走りまわったり…。
「たげめよ。かねが。」(とってもおいしいよ!食べたら?)と行商のおばさん。
「へば。… めの。」(それでは…う,うまい!)と私。
話に花が咲き,それだけでも旅の思い出になります。
話は前後しますが,青森駅のホームは連絡船の桟橋と直結していて,とても長いのです(いまでも5本の指に入るぐらい)。そして階段を上り,乗船待合室に入ります。乗り換え時間は短くても30分ほどあるので,ゆったりした時間の流れが感じられます。
そこでは必ずしなければならないことがあります。乗船名簿の記入です。私が生まれる前に洞爺丸という連絡船が津軽海峡で沈没したこともあり,記入と提出が義務みたいになったようです。
今の連絡船乗船口は観光名所になって,八甲田丸だけがその面影を駅の桟橋に残しています。
単なる移動手段としての鉄道と割り切れば,チケットレスや高速輸送は歓迎されるところですが,何かさみしさを感じるのは私だけでしょうか。仕事にリタイアしたせいかもしれませんが,世の中の時間の流れが異常なまでに速くなっているように感じることがあります。ファスト映画,イントロがないヒット曲…。
八甲田丸前の桟橋公園に「津軽海峡冬景色」の歌碑があります。あのイントロでゆったりした景色,時の流れ,想像を掻き立てられる愉しみを思いめぐらすこの頃です。
最終回は思い出話のようになってしまい,申し訳ありません。ちなみに30年前の今頃(ちょっとすぎてしまいましたが),鉄道史上の出来事がありました。改札口での入鋏が完全に消滅したときだそうです。時代の流れって速いのですね。
でも自分の生き方の中で,「昔はよかった」の言葉に甘えるよりも,ゆっくりでも心が満たされている時間や,コミュニケーションを通して自分を見つめる時間を大切にしていきたいと思う私です。