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東京名物百人一首(7) 出版社・博文館/ 浪花節・桃中軒雲右衛門/菓子屋・榮太樓總本鋪/温泉割烹・草津亭

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物百人一首

菅家
 此度は 著作ちよさもとりあへず 出板に
   書籍しよせき知識ちしき かづのまに/\

【元歌】
  このたびは ぬさも取りあへず 手向山
     紅葉のにしき 神のまにまに

※ 「出板」は、出版。

〔筆書き部分〕
  ● 向島至

東京市日本橋區本町三丁目
博文館
(振替貯金口座番號 二四〇番)
編輯部用 本局千〇十八番 千六百廿五番

毎月一日撥行 一冊 金拾銭

※ 「向島」は、四島かもしれません。ただ、いずれも文意が読み取れないので自信がありません。
※ 「博文館」は、明治二十年(1887年)に設立された出版社。人気雑誌『太陽』『少年世界』『中学世界』『女学世界』などを刊行していました。
※ 「編輯」は、編集へんしゅう


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物百人一首

三條右大臣
 浪花節 大坂よりの 雲右衛門
   人に知られて 来るよしもか ●

【元歌】
  名にしおはば 逢坂山の さねかづら
    人に知られで 来るよしもがな

※ 「雲右衛門」は、浪曲師ろうきょくし桃中軒雲右衛門とうちゅうけんくもえもん

桃中軒雲右衛門といふ浪花節の名人、大坂より上京し、本郷座に於て、三十日間興行せしに、其席 上等を壱円とし たるにかゝわらず、毎夜客留の盛況を提し、益々浪花節の聲、價を高めたるは、雲右衛門 其者の藝術の妙に依る所と虽も、爾来 浪花節を以て東京名物の一を示るに至りしは、流石 雲右衛門の力なりき。

※「本郷座」は、桃中軒雲右衛門が 赤穂あこう浪士ろうしを題材にした『義士ぎし銘々めいめいでん』を口演し、注目を集めた劇場です。

桃中軒雲右衛門 入道

※ 「桃中軒雲右衛門入道」と書かれた幡には、赤穂浪士の大石内蔵助くらのすけの家紋(二つ巴)が描かれています。


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物百人一首

貞信公
 小倉羹 美味びみの干菓子に 玉簾たますだれ
   今 西川岸の みせをまたなむ

【元歌】
  小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば
    今ひとたびの みゆき待たなむ

※ 「小倉羹」は、小豆の練り羊羹ようかんに大納言小豆の蜜煮を混ぜ合わせもの。小倉羹おぐらかん
※ 「干菓子」は、粉や砂糖を固めて作った、水分の少ない菓子のこと。落雁らくがん金平糖こんぺいとうなど。
※ 「玉簾たますだれ」は、すだれに見立てた錦玉羹きんぎょくかんで餡を巻いた夏の和菓子。
※ 「西川岸」は、安政四年(1858年)に三代目細田安兵衛(幼名栄太郎)が独立した店舗を構えた場所。日本橋西河岸町。

榮太樓總本鋪

※ 「榮太樓總本鋪」は、江戸時代から現在に続く和菓子屋。
  参考:Webサイト「榮太樓の歴史


出典:国立国会図書館デジタルコレクション『東京名物百人一首

中納言兼輔
 草津から わきて流るゝ 温泉に
    客が来とてか ゆあみするらむ

【元歌】
  みかの原 わきて流るる いづみ川
   いつ見きとてか 恋しかるらむ

※ 明治十八年(1885年)に浅草で開業した温泉割烹「草津亭」を題材にした歌と思われます。明治五年に駒込神明町で料亭を始めた初代 藤谷甚四郎氏が善光寺参りをした際、夢枕で大黒天から「汝、草津温泉の湯の花を持参し温泉を開業せよ、必ず繁盛する夢々疑う事なかれ」とのお告げを受けて、草津温泉に立ち寄って湯の花を持ち帰り、浅草で温泉割烹を始めたそうです。
参考:Webサイト「浅草 草津亭



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