東京名物百人一首(7) 出版社・博文館/ 浪花節・桃中軒雲右衛門/菓子屋・榮太樓總本鋪/温泉割烹・草津亭
【元歌】
このたびは 幣も取りあへず 手向山
紅葉のにしき 神のまにまに
※ 「出板」は、出版。
※ 「向島」は、四島かもしれません。ただ、いずれも文意が読み取れないので自信がありません。
※ 「博文館」は、明治二十年(1887年)に設立された出版社。人気雑誌『太陽』『少年世界』『中学世界』『女学世界』などを刊行していました。
※ 「編輯」は、編集。
【元歌】
名にしおはば 逢坂山の さねかづら
人に知られで 来るよしもがな
※ 「雲右衛門」は、浪曲師 の 桃中軒雲右衛門。
※「本郷座」は、桃中軒雲右衛門が 赤穂浪士を題材にした『義士銘々伝』を口演し、注目を集めた劇場です。
※ 「桃中軒雲右衛門入道」と書かれた幡には、赤穂浪士の大石内蔵助の家紋(二つ巴)が描かれています。
【元歌】
小倉山 峰のもみぢ葉 心あらば
今ひとたびの みゆき待たなむ
※ 「小倉羹」は、小豆の練り羊羹に大納言小豆の蜜煮を混ぜ合わせもの。小倉羹。
※ 「干菓子」は、粉や砂糖を固めて作った、水分の少ない菓子のこと。落雁、金平糖など。
※ 「玉簾」は、簾に見立てた錦玉羹で餡を巻いた夏の和菓子。
※ 「西川岸」は、安政四年(1858年)に三代目細田安兵衛(幼名栄太郎)が独立した店舗を構えた場所。日本橋西河岸町。
※ 「榮太樓總本鋪」は、江戸時代から現在に続く和菓子屋。
参考:Webサイト「榮太樓の歴史」
【元歌】
みかの原 わきて流るる いづみ川
いつ見きとてか 恋しかるらむ
※ 明治十八年(1885年)に浅草で開業した温泉割烹「草津亭」を題材にした歌と思われます。明治五年に駒込神明町で料亭を始めた初代 藤谷甚四郎氏が善光寺参りをした際、夢枕で大黒天から「汝、草津温泉の湯の花を持参し温泉を開業せよ、必ず繁盛する夢々疑う事なかれ」とのお告げを受けて、草津温泉に立ち寄って湯の花を持ち帰り、浅草で温泉割烹を始めたそうです。
参考:Webサイト「浅草 草津亭」
筆者注 ●は解読できなかった文字を意味しています。
新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖