桜が満開の知恩院を描いた一枚です。
浄土宗の総本山である知恩院の歴史は、承安五年(1175年)に浄土宗の開祖である法然上人がこの地に草庵を結んだことに始まります。
法然上人は、ここで専修念仏(南無阿弥陀仏をひたすら称える専修念仏の教え)の布教を始めました。
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参詣客が一息ついているのは、知恩院の本堂「御影堂」です。(法然上人像が本尊として祀られていることから御影堂と呼ばれます)
左端の男が何かを見上げていますが、これは知恩院の七不思議のひとつ「忘れ傘」を眺めているところです。
御影堂 の 軒裏 に一本の 傘 がはさまっていて、白狐の化身が置いていったとする説や、左甚五郎 が魔除けに置いたとする説などが伝わります。
白狐説については、大正時代の『京都名勝』に詳しいので引用します。
また、左甚五郎 説は、知恩院の 鶯張りの 長廊下(御影堂から集会堂・大方丈・小方丈に至る550メートルの廊下)が、左甚五郎作とされることに由来します。
こちらは、大正時代の『趣味と教養』という本から引用します。
左甚五郎という人は、江戸時代初期の伝説的な彫刻職人で、全国に数多くの作品を残しています。なかでも、日光東照宮の「眠り猫」や上野東照宮の唐門「昇り龍」「降り龍」は特に有名です。
そういえば、昨年(令和四年)大徳寺の修復工事の際に、方丈の屋根裏から大工道具の 鑿 が見つかる出来事がありました。
鑿 が見つかったのは建物の南東角付近で、これは 知恩院の忘れ傘が置かれているのと同じ場所だそうです。また、大徳寺の方丈の創建は寛永十二年(1635年)、知恩院の御影堂は寛永十六年(1639年)と、ほぼ同時期に作られており、火伏せのまじないとして南東(辰巳=龍)の方角に意図的に置かれたものではないかと推測されているようです。
四百年の時を越えて …
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参考:産経新聞「あの屋根裏のノミは「忘れ物」か「願掛け」か 京都・大徳寺の置き去りミステリー」
筆者注 新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖