【京都】祇園社 西門
江戸時代「八坂神社」は「祇園社」と呼ばれていました。正式名称を「祇園感神院」といいました。「祇園感神院」から「八坂神社」に名前を変えたのは、明治の神仏分離政策によるもので、祇園社から仏教を切り離して八坂神社となりました。それまでは 神仏 習合 の神社寺院 で、境内には薬師堂や鐘楼などもあり、社僧が仏事を執り行っていました。
※ 祇園社の起こりについては、明治八年(1875年)に八坂神社が出した『八坂神社由来記』に詳しいので、興味がある方は読んでみてください。
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では、絵を見ていきましょう。
祇園社 西門の前を行く人々は、着倒れの京都、男性もどこかはんなりとしています。
中央を行く、若い女性の一行が目を引きます。
美しい振袖姿の若い女性が、髪には華やかな 簪 をつけて、前帯姿の女性と談笑しながら歩いています。
大店のお嬢さんでしょうか。後ろからは、お付きの女性が日傘をかざし、さらにその後ろを大きな風呂敷包みを背負った丁稚らしい男の子が続きます。
一行が向かう先には、御香煎 所 の「原了郭」があります。今も黒七味でよく知られる「原了郭」です。
「御香煎」は、茴香(フェンネル) や 陳皮(みかんの皮)などを調合し、香ばしく煎って粉末にして焼き塩を加えたもので、これを白湯に浮かべて飲みました。
当時の人々にとって、今風にいえばフレーバーウォーターのような存在でしょうか。焼き塩が入っているので、旅のひと休みの塩分補給にもなったでしょうね。
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寛政九年(1797年)に出版された『東海道名所圖會』に、この御香煎所を別のアングルから描いた絵があります。
こちらの絵では、原了郭の店内の様子を窺うことができます。ひと休みする僧侶の姿や、商品の説明を受ける角隠し(揚帽子)をした女性の姿、店先で遊ぶ子犬たちが可愛らしいですね。🐕
奥には、茴香や陳皮をひくための 薬研 と 挽臼 が見えます。
中央を行く艶やかな芸妓衆は、先斗町から来たのでしょう。
周囲の男たちが足をとめて、その美しい姿に見とれています。貞信が描く『祇園社 西門』とモチーフが似ていますね。
さらに、左下には、角隠しをした振袖姿の女性、老女、お付きの女性、風呂敷包みを背負った丁稚の男の子。『祇園社 西門』の一行と同じ配置で描かれています。
江戸時代、良家のお嬢さんが外出する際は、このようにお付きを従えるのが一般的なスタイルだったのかもしれません。
もうひとつ興味深く感じたことは、老女が前帯を結んでいることです。貞信が描いた前帯の女性は若々しく見えますが、「前帯」姿に描くことで年配の女性(手が後ろに上げにくくなって前帯結びになる)であることを示唆しているのかもと思いました。
しのぶ思いを振袖に 祇園恋しや だらりの帯よ
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参考:京都祇園 八坂神社「八坂神社の歴史」原了郭「原了郭について」「御香煎」
筆者注 新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖