【京都】嵐山三軒家より眺望
嵐山三軒家の楼上から桂川の上流を眺めた景色です。桜が満開の嵐山を三艘の筏船が航行し、右手には遊覧船の船着き場が見えます。
絵の中央奥に「となせの瀧」と書かれています。
渡月橋の上流、嵐山から大堰川に流れ落ちる「戸無瀬の滝」です。
水一筋 月よりうつす 桂河
この句を詠んだ蕪村は、その前置きに「となせの瀧は音無瀧と書く、京都の西、嵐山にある小さな瀧」と書きました。「音無瀧」ということは、もしかすると古くには「おとなせ」であったのが「お」が落ちて「となせ」となったのかもしれませんね。
『嵐山三軒家より眺望』では「戸無瀬の滝」が見えませんが、広重の『六十余州名所図会 山城 あらし山渡月橋』にその姿を見ることができます。
春爛漫の嵐山から流れ落ちる「戸無瀬の滝」が美しく描かれています。
嵐山の桜は、南朝(大覚寺統)の祖となる亀山天皇が、吉野(奈良)の嵐山の桜を移植したことに始まります。嵐山の名前も、吉野の嵐山に模してつけられました。
桜の花咲く嵯峨嵐山で、亀山天皇が詠まれた歌が残っています。
「亀山仙洞」は、亀山天皇の父にあたる後嵯峨院が、嵯峨に造営した仙洞御所です。仙洞御所というのは上皇・法皇の御所のことで、亀山天皇は退位から崩御されるまでここに住まわれました。そのため「亀山殿」とも呼ばれます。
弘長三年二月というと、亀山天皇が退位される一年前にあたり、上皇になられた後のお住まいと嵐山の桜の様子をご覧になるための行幸だったのかもしれません。
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「嵐山三軒家」について、観光案内書をいくつか見てみると、渡月橋の北詰めにあって「三軒茶屋」とも呼ばれていたことが分かります。
渡月橋を北詰めからみた鳥観図では、「茶店」と「三軒屋」が並んで記され、大堰川の対岸上流に「となせ滝」があります。
また、こちらの図から、立派な家構えであったことが分かります。
この三軒茶屋には「杜鵑亭」という建物があり、その楼上から嵐山を眺望できたそうです。
杜鵑は、ほととぎすの漢名で、初夏を代表する鳥です。新緑の嵐山をイメージしてつけた名前でしょうね。
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参考:国立国会図書館デジタルコレクション『蕪村俳句評釈 続』
筆者注 新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖