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「好きってだけでどうにかなって」

・「好き」がないと始まらないし続かないけど、「好き」だけじゃ続けていけないし、ていうかどうにもならない!っていうのは演劇をやっているとすごく思うのですが。いや、「好き」だけでどうにかなるくらいのこともきっとあるんだけど(自炊とか)、それじゃあどうにもならないことを「好き」になってしまったのは自分なんだよね、と。

・それでもやっぱり、「好き」ってだけでどうにかなってくれよ〜!って思っちゃうんだよなあ。まあ思っちゃうのはいい、いいよね?咎めんといて。とはいえ考えは持続するはずなので、ちゃんと「どうにもならない」ってことは知っていないといけないってことも、ちゃんと知っているつもりで。

・でもでも、「好き」って気持ちの尊さとそれによって起こる奇跡みたいなものに触れ続けさせられるじゃん、生きてると。だってチューしたら目覚めるらしいじゃんか、人間。人間?まあこういう世界観に自分が生きていないということも流石に4半世紀生きてりゃわかるが、わかったところでタッチはしているので、その触れた、あるいは掴まれたときの/ところの、温度というか圧というかには、覚えがあるままなのだ。

・目覚めてないからそうなのか、目覚めた上でそうなのかで、「好き」の効能の限りは違うよね。目覚めてないと思ってチューしてたけど、目覚めた上でそんなんだったらチューしたって変わんねえよな。だったらどうか、目覚めてた上でそうであってくれたらいいなあ。そしたらわたしのチューにはまだ目覚めさせる効果があるかもと、「好き」ってだけでなんとかどうにかなるのかもと、思っていられる。

・ああ、まあ、どうにもならないことの方が圧倒的に多いのだが。

……以上は一例。世の中の人、安定感が抜群に見えていてすごい。わたしは最近なぜか不安定で、その不安定さを暴力の理由にしないために最後の理性を振り絞りながら、なんとか生きています。こういうことも素直に残しておけるnoteと読んでくれる人に救われているので、ある程度救われてから同じことをもっと読んでもらえるような文章で書くことにします。今日は勘弁!

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