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「調味料とか全部入れ物に移し替えてそう」

100均のね。野花紅葉です。

ちょうど1ヶ月前、トピックとしての悪口の手軽さと「とある価値観が自分と同じだと確かめられる」悪口の便利さについて書いた。そして、そういえばわたしのnoteにはおもしろ悪口シリーズとしてこの2つがすでにある。

で、なんかあれだな、悪口の中身それ自体の是非というか評価というかってどうでもいいんだな、と思って。愚痴とか相談のニュアンスを持たない「悪口」であれば特に。

「調味料とか全部入れ物に移し替えてそう」

これはとある人(A)との会話の中でとある人(B)の「ぽさ」みたいな文脈でとある人(A)から聞かれた言葉なんだけど、わたしはめちゃくちゃ悪口だと受け取ったのね。でもそれは、わたしに調味料をいちいちイケてる容器に移し替えることを悪いとかダサいとか思う価値観があったから……ではなく、とある人(B)の細かくてちまちました自意識が悪口の対象になるものだと判断して→そのことの天才的な形容として捉えたからで。

つまり、調味料をガラスの容器に移し替えてようがマイメロの巾着持ってようが自分のガキの頃の写真をアイコンにしてようが、いいのよそれ自体は。ていうか、それ自体が嫌な人は悪口を便利なものとして使っている(会話の相手と自分の嫌いなものが同じか調べている)人なわけなんだけども、そうではなくて、「一番ありそうなあるある言えた人が勝ち」みたいな、あるいは「最も面白い形容をした人が勝ち」みたいな、下品なんだか雅なんだかわからないゲームとして機能していたんだなあと、することもあるんだなあ悪口は、と思い至ったのでした。

まあでも、とある人(A)がこれを悪口として言ったかは定かではないし、ただわたしのとある人(B)への「やだみ」が明確になっただけなのですが。ゲームに参加してたのはわたしだけだったらめちゃくちゃ嫌だな。

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