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「ので」

これタイトルにしていいのかな?という気持ち、もちろんあります。野花紅葉です。

同じ2文字で言えば「ええ」とか「失礼」とかが個人的にめちゃめちゃ性癖に刺さって、「ええ」と相槌を打たれたり咳をして「失礼」と言われたりしたら速攻好きになりかける。我ながらチョロい。しかし、今回は嫌いな方。端的に言えば話終わりが「ので」なのスーパームカつく、という話。以前からそういう話し方の人に出会うたびに「あ?」と思っていたのですがこの前クリティカルヒットをくらいめちゃめちゃ嫌な気持ちになったので文章にします。

「ので」

「ので」で話を終わらされる不快感というのは、「その先はわかるでしょ?」「これは大前提でしょ?」みたいな言うまでもないでしょ?感にあって。英語で言うと “So…” で話やめられる感じ。伝わりますかね。言われるたびに馬鹿にされてる感じがするのよ。

例えば、異性婚以外認めるべきでないという主張をするときに「男と女でなければ子供は作れないので。」で話を終わらされると、「えっそれは……知ってますが……」って気持ちになっちゃう。もっと身近な例えだと「わたしとあなたは違うので。」とか「俺はこう思ってるので。」とか。もうね、だからなに!?!?!?っていう。お前は伝えることサボってるくせに汲み取ること強いてくんの腹立つ〜〜〜〜!!!っていう気持ちなんですこっちとしては。しかもその汲み取らせ方も「それくらいわかるでしょ?」あるいは「そんなこともわからないの?」という人を食った態度。なんなん?思い出したらクソ腹立ってきたんだけど。

もちろん倒置法で使ってる場合とかは別ですよ。言うまでもなく、文の終わりが「ので」の人全員にムカついてるわけじゃないです馬鹿にしないで。「ので」は理由や原因を表す接続助詞(ググった)だから使うからには結果を示してほしいんだけど、そこをサボって結果をこっちに汲み取らせようとしてくる態度がわたしは嫌なの。ていうか、その主張を前提と捉えられるほど自信があるならサボらず全て言葉にしろや。本当は自信ないのがありありとわかるぞ。

わたしはもう、わたしを馬鹿にしないと自分を保てない人間に時間を割きたくない、ので!

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