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「もうちょいウチら愛し合ってもよくない?」

未だ脳が覚めぬ。野花紅葉です。

昨日まである企画をお手伝いしていまして(参照)、わたしはわたしの責任を果たしたと思えているので、晴れやかな気持ちでいます。この場をお借りして気にかけてくださった方にお礼を。ありがとうございました

今日からテーマに則ったnoteの毎日更新を再開するぞ、ということで以下。

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なんというかしかし、自分が愛されていないと生きるのってものすごくつらいですね。つらいじゃないですか。だから、生きててほしいなあと思う人に対してはめちゃくちゃ愛を表明するように努めていて。これは恋人とか恋愛とかに限らず、まあただ、恋人とか恋愛とかに関しては尚のこと。

自分がそういう人間なので、わたしに生きててほしいなら愛せよ、と思ってしまいがちなのですよね。我ながら極端というか傲慢というか論理の飛躍がやべえ気はするし、以前書いたように「自分の愛し方と、相手が『愛されてるな』と思えるものが、必ずしも一致しないというところに悲しさがある」という難しさはデカデカと立ちはだかっているのですが、それでも、お互いに相手が生きてたら嬉しいはずなんじゃねえの!?っていう壮大(?)なスケールでムカついちゃう。もうこれは恋人とか恋愛の話ですが。

勝手に生きてる人間を勝手に好きになって勝手に「わたしが生かしてる」気になることは大変に気持ちが悪いことでしょうけど、でも、わたしは、愛されることで生かされているので。いやちげえな。愛されないなら生きてなくていいなと思う。まあその「愛される」はマジで恋愛に限らないしなんなら「自分が自分から」という自己愛でもいいのですが(わたしにとってそれは難しいけども)、「お互いに相手が生きてたら嬉しいはずだ」ということを疑わなくてもいい最高の関係が人生の中にあるなら、やっぱり、こう思っちゃう。

「もうちょいウチら愛し合ってもよくない?」

「生かし合ってもよくない?」でも可。

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