「好きな形の人間」
ついに6月も後半だし実は昨日からロゴカラーも変わってる。野花紅葉です。
昨日の記事がそれなりに好評(ありがとうございます☺️)だったので引き続き人間の造形について描こうと思うのですが、「好きな顔のタイプ」というトークテーマがマジで苦手です。知らんしという気持ちになる。
「綺麗な顔」「整っている顔」という印象を他人の顔に持つことはあるのですが、当たり前に1つ以上あるし1つのタイプにも絞れないし絞りたいと思うほどの興味がない。恋愛においても顔が好きだから恋愛感情を抱いたり性的興奮を覚えたりすることがない。人間に魅力を感じる要素として「顔の良し悪し」(あえて)が上位に君臨していないどころか行方不明。
しかし「顔の良し悪し」が他者を魅力的に思うのにかなり重要なことは一般的のようで、だからこそこのトークテーマもよく話されるし聞かれるし期待されるし、興味を持たないことを疑われたり咎められたりすることすらある。「顔が好き」と言われそれらを抱かれたり覚えられたりすることはままあるわたしはその感性、羨ましい!って思います(暴力的にぶつけられたりすればうざったく感じることもありますが!)。
だってだって……こちとらコンプレックスだらけの人間なので相手の顔が綺麗だとなんかすいませんという気持ちで死にそうになるので……どうにか人間として喋ってもらえるよう死力を尽くした結果それが可能になった頃にはもう恋愛対象には見られないので……死にたくなりたくないから逃げちゃうし死にそうになってるとき恋愛なんかできないので……。
「好きな形の人間」
これは友達(?)のギャル(?)が言っていた言葉なのですが、清々しくて超よくないですか?強さがパネエと思う。わたしには乗り越えられないものを愛のために乗り越えているように感じるというのは大袈裟ですが、少なくともわたしには一生言えない言葉です。
「他のところに人間の魅力を感じているのだ」と言えば聞こえはいいですが「顔や身体に魅力を感じる」ということは絶対絶対絶対悪いことではないので(昨日も書きましたが、悪いのはそれを “全て” と捉え人間を判断した気になることだと思います)、むしろ魅力的だと思うチャンスを逃しているというか、感性を持ってないというか。あるいは自分を守るためにそのセンサーを殺しているのか。いずれにせよ損していると思うのです。ゆえにもう一度。その感性(とそう言える人)、羨ましい!