「扇風機じゃなくて私に言えよ」
信じてえ〜とか期待してえ〜とかよく言ってるけど、信じたり期待したり、されたりすることが簡単でないのもわかっている。一筋縄ではいかないっていうか、永続的なものではないっていうかね。
「中でも僕は人を信じるのが苦手です、それは今までの人生の環境やその末の性質のせいです」と言われたとき、できる限りの対策や対応を誠意を持ってやりたいと思うし、やろうとするし、やってきたつもりだったけど、「君のおかげで人を信じられるようになったし、君を心から信じてるよ!」なんて回答が返ってきた記憶はなく、あったところでエンドロールは流れない。終わりがない限り完了しないので、やっぱり永続的なものではない。
で、でさ。まあそんなことを考えながら日々生きるような人間性わたしにね、「俺はこいつを信じている」と言い放ったやつ。信じてもらうのは難しいけど、それでもどうにか疑念の少ない共生を試みていた(つもり)のわたしに、「俺はこいつを信じている」と。そんなに深い意味がないのもなんならギャグのつもりなのも言うまでもなくわかる、わかるけど、なんていうか、わたしたちの間では「信じる」って言葉はもっと重いはずじゃなかった?って気持ちになっちゃった。
あーあ、こんなことでいちいち、いちいち嫌な気持ちになったり眠れなくなったりするの嫌だなあって、思った夏もあったのだ。あの頃住んでた部屋にはクーラーがなかったので。
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