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早起きしただけでこんなに面倒くさいことを考えることになります

「みじん切りした野菜がまな板からこぼれちゃったとき『普段がんばって生活してるんだから、こんなことくらいうまくいってよ』と思って泣いちゃいそうになる」という話を聞いて、ちょっとわかるな〜と思った記憶がある。

わたしは今日、なんの用事もないのに午前中に目が覚めて、なんかそれだけで得した気持ちになれることに、ついに絶望してしまった。それはどうやらわたしが必死に「近くにある小さな『幸せ』」かき集めて生きてる状態らしい、ということを指してるみたいで。

切った野菜を鍋に移すことすらうっかり失敗するわたしたちはそりゃもう毎日失敗ばかりで不幸ばかりだが、例えばうっかり早起きしちゃうみたいな成功や幸せだってきっと転がっている。転がっているけど、そういうのを「うっかり」というサイズ感で処理できないことをありがたがるのは違くねえ?と思って。そういうのに泣いちゃいそうになったり、あるいは必要以上に丁重にもてなしたりしないとならない生活は、別に、全く、繊細で丁寧で豊かな生活ではない。そんな名前をつけてありがたがるなんて、できない。

小さな不幸を「うっかり」とすることは、「うっかり」出会った小さな幸せを血眼になってかき集める日々の中では、困難。だって「うっかり」には価値があると思っちゃってる状態なんだもん。

とここまで、「うっかり」自覚できてよかった〜としっかりかき集めてしまったところで午後になりました。二度寝したかったよう。

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