「みんながピカソの絵みたいなズボンを履いてるのはなぜ?」
なんとなくですが、今日の夜「野花紅葉って誰やねん?」という人が少数ながら生まれる予感がする、ので、先回りして述べておく記事にしたいと思います。
はじめまして(おひさしぶりです)。野花紅葉です。
とはいえ、既にネットでわかるあらゆること(これとかこれとか。ていうかこのnote自体も)ではなく、いつもの記事のように極めて個人的な話をします。
わたしは、その多数が裕福な上に中学受験をするような小学校に通い→かと思えばトイレを破壊することが強者の証とされるような治安の中学校に通い→東京都立で偏差値55の平均ド真ん中&ド平和の高校を経て→ガチの令嬢ばかりでその大半が東大生の彼氏を持つような大学を卒業しました。ちなみにわたしには東大生の彼氏は一度もできませんでしたし、この段落のどこにも悪口はありません。
つまりなんというか、まあ短く浅い人生経験ですが、所属してきた小さい社会や世界の遍歴にあまり統一感がなかったんですよね。もちろんそれぞれの社会や世界の中で「イケてるとは」「善とは」「普通とは」みたいなものは定義されていたし、むしろそれは割と極端だったんじゃないかとは思うのだけど、幼い自分がさまざまなことを定義するにはモデルが多すぎたというか。
その結果、「世の中にはいろんな人がいるなあ」という当たり前だがすぐに忘れてしまうことを幾度となく思い知る機会があったのは幸いで、「小さい社会や世界を信じすぎると『普通』や『善悪』の解像度が下がるなあ」と自戒を込めて思い出す癖がつきました。まあ、すぐに忘れてしまうのだが。
さてそういえば、このnoteは劇作家であるわたし・野花紅葉が「いつか台本にする言葉たち」をテーマに執筆するオンラインエッセイであり、つまり今日のタイトルであるこの言葉はいつか台本になって上演される(可能性がある)のです。急に対外的な自分が出てきたのでさっさと締めに入りましょう。
演劇をやっている男の稽古着というのは、その「小さな世界」にいない男から見ると、こうらしい。自分もしっかりその「小さな世界」にいたので全然気づきませんでした。
改めまして、野花紅葉です。モミジノハナという個人演劇ユニットを主宰している女で、文章を書くのが好きです。今は来たる「いつか台本にする言葉たちを本当に台本にして上演」する企画のために、毎日オンラインエッセイを書いています。そのほとんどは恋愛にまつわる雄叫びで、だから今日の記事は本当に例外。いつもの雄叫びに興味が湧いた方は過去の記事をぜひ。それでは今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
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