キスするまでもなく目覚めている
この記事の特に下ふたつについてもう少し読んでもらえる文章で書こう、というのが今日の趣旨。野花紅葉です。
「他人は自分用にカスタマイズできない」ことを自戒として日々思い出す一方で、「この人と一緒にいることで自分は変われました!」という美談の存在も無視できないんですよねわたし。あなたはどう?
啓蒙とか教育とか感化とか、いやそんなもん人様にできるレベルの存在かよ己って、とは思うんだけども、良好な関係性の障壁となるものがあるのなら直してほしいと思っちゃう。自分も直したいし。互いが生きているだけで、人生に存在し合っているだけで構わないと思える愛があったとしても、なんというか、もっとハッピーになれたらもっとハッピーじゃん!?普通に。
そういうものが愛によって直ることをなぜ信じているのか、愛=キスによって直る=目覚める/目覚めさせることになぜ憧れがあるのか、そのWhy?の答えに正直あまり興味はない。じゃあなんでこのことについて書いているかというと、「あ、目覚めてたんすね最初から!?」と思うことがあったからです。
そっか〜じゃあ目覚めないよな〜キスしても。直んないよな〜愛しても。と思った。だって、未熟ゆえの、とか無知ゆえの、じゃなくて成熟したモンスターなんだもん。そんなん無理じゃん、太刀打ちできねえじゃん。
直ら(/せ)なかった理由がなんだったのか、あらゆる可能性があるしきっと複合的なものなんだったんだろうけど、候補を新たに見つけたという話でした。人を変えたいように変えるなんて都合の良いことはできない、自分という人間にはそこまでのパワーや徳がなかったのかもしれないし、そもそもが傲慢な思想なんだし、愛は地球を救わない。そこに加えてすでに目はガン開きしていたのかもしれないという気づき。きっとみんなは当たり前に知ってたんだろうけど、わたしはよく知りませんでした。人と生きるの難しすぎるよ!
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